2015-01-01から1年間の記事一覧

楽しき趣味

趣味や収集を徹底する人物は、いつの時代も少なくない。けれども、見聞の表現や嗜好のセンスにたけた者は、決して多くない。 企画展『植草甚一スクラップ・ブック』(世田谷文学館)は、サブカル文化人である植草の、ノートや直筆原稿、スクラップ・ブックな…

平成の文学

浦田憲治『未完の平成文学史』(早川書房)の立場は、作品の批評家ではない。ジャーリストとしての立場から、平成文学の流れをたどっている。昭和以降の文学を知る著者が、歴史を踏まえつつ、現代の文学を俯瞰する。記者らしいバランス感覚と、元文学青年と…

船の運命

映画『海峡』(日本、森谷司郎)では、青函トンネル開通工事に貢献した男たちの苦闘が活写されていたが、その一方で青函連絡船は廃止されるはめになった。 渡辺源四郎商店の演劇『海峡の7姉妹』(ザ・スズナリ)は、廃止された連絡船を擬人化し、数奇な運命…

続行するベトナム戦争

敵が欧米以外の国であれば、米国は民間人に対しても非人道的な政策を堂々と進める。、 ドキュメンタリー『ハーツ・アンド・マインズ ベトナム戦争の真実』(米国、ピーター・デイビス )は、ベトナム戦争にかかわった両国民の多様な証言から、戦争の大義、戦…

老人の心意気

『龍三と七人の子分たち』(日本、北野武)は、やくざ映画をパロディーにしつつ、大衆的笑いで包み込み、エンターテイナーとしての北野節を聞かせたアクション喜劇だ。 むろん、ただの笑いではない。仁義を無視した新興悪人の横暴、たがを外れた老人の怖さ、…

虐殺のリアリティー

きわめて人間的な漁民たちが、なぜ難民の虐殺に走ったのか。 『海にかかる霧』(韓国、シム・ソンボ)は、トラブル続きの船内における壮絶な展開によって秘密を解き明かす。 金と事業存続がかかれば、これまで犯罪とは無縁だった船長でさえ、魔が差すことは…

救いなき世界

登場人物が聾唖者ばかりで全編手話のみ。道徳もヒューマニズムもない救いのない展開。 『ザ・トライブ』(ウクライナ、ミロスラブ・スラボシュピツキー)の舞台は暴力と売春が幅を利かす聾学校。容赦ない演出が徹底されることで、悪の根源に迫っている。

デビュー作

群像新人賞で落選した『すばらしい日本の戦争』に関し、高橋源一郎は、「書いていたときに「この小説は、自分が伝えたいメッセージがある。これを出すまで死にたくはない」と思ったことを今でも覚えています」と、『デビュー作を書くための超「小説」教室』…

なぜ書くのか

書かないとき、人びとはなにをしているのだろうか? 書かない人たちを密かに称賛しています。どうして書かずにいられるのか、まさにそれがわからないのよ。 (マルグレット・デュラス、北代美和子:訳『私はなぜ書くのか』河出書房新社) 公にするかどうかは…

地図を土台に

独特な作劇をするようでいて、王道とも言うべき基本を順守する荒木は、『荒木飛呂彦の漫画術』(集英社新書)で創作手法を明らかにしながらも、本書の通りに漫画を描いてはいけない。そのまま実践しても発展はないと、くぎを刺している。 本書は迷ったり悩ん…

芸術の根底

もはやパワハラとしか言いようがない音楽教師の狂人めいた指導である。『セッション』(米国、デイミアン・チャゼル)の青年は、音楽学校でジャズの名物教師からドラムの特訓を受けるが、指導は機械のように正確な演奏と、人間性を無視したいやがらせに耐え…

アイドルであるために

セクシー写真を提供しても、アイドルとしての一戦は崩さない。解散ライブを控えたパフォーマンスアイドル「Bis」のメンバーそれぞれにAV監督たちが接近し、ゲームがてらに彼女たちからキスや抱擁を勝ち取ることを競い合う。 異色ドキュメント『劇場版 BiS…

ロック魂

パンクロックのボーカリストにして、お菓子屋の店主。ドキュメンタリー『あっちゃん』(日本、ナリオ)は、ライブと個人店経営を両立させる「ニューロティカ」のイノウエアツシを追う。 メンバーの脱退や母の老化など、公私ともに様々なトラブルに悩まされな…

責任者は戦争自体なのか

戦争犯罪を戦争自体やファシズムや軍国主義といったレーベルに負わせるとき、個人の責任はうやむやになる。 辺見庸は『週刊金曜日』4月17日号で、武田泰淳『汝の母を!』を題材にして、「すべてを「戦争」のせいにしてきた論法の盲点」に言及している。 人間…

見せつける映像

汚物と死体だらけの世界が、まるでドキュメンタリーであるかのごとく、ひたすら目の前に映し出される。 『神々のたそがれ』(ロシア、アレクセイ・ゲルマン)は、中世絵画のような異世界が、画面の隅々まで実写化され、おぞましい世界が、観る者を圧倒する。…

作り手の好感度

宮崎吾朗監督のアニメ『山賊の娘ローニャ』(NHK)は、気のいい父母や山賊仲間と森で暮らす少女のささいな体験記だ。 森には不可思議な生き物も暮らすが、常に両親との関係を維持するローニャは、冒険といっても、幾日か、実家から離れて暮らすぐらいで、そ…

生きている実感

ピカソや手塚治虫は、時代に取り残されることが怖くて、日々休まずに描いていたわけではない。生きることは、描くこと、表現していることが、生きることだったからこそ、休む必要がなかったのだ。生きている実感のためにどうしても描き続けなくてはならない…

日本的狂気

現代の日本で何かをフェアに提出するとき、そこには何が映りこんでいるのだろうか? ……現代の日本的な狂気(もしそれを狂気と呼ぶなら)、それは「曖昧などんかんさ」だと思う。(岡崎京子『オカザキ・ジャーナル』平凡社) 1992年のエッセイである。岡崎は…

プロフェッショナル

『ディオールと私』(フランス、フレデリック・チェン)では、老舗ブランド「クリスチャン・ディオール」の制作現場が明らかにされる。 新任ディレクター、ラフ・シモンズの指揮で、短い準備期間をものともせず、メゾン・コレクションに備えるスタッフたち。…

ドラマ制作の犯罪

『相棒 season13』の最終回では、右京を長年支えた相方こそが悪党だったという救いなき幕切れで終わる。伏線のない唐突な終わり方や、純粋だった相方の急変はもとより、鋭敏な天才的刑事が、もっとも身近にいる人物の犯行を見逃していたという失態も、シリー…

自助努力の果てに

放射能による被ばくを軽減するために、子どもを保養地で過ごさせたり、汚染された土を除去する親たち。 『小さき声のカノン 選択する人々』(日本、鎌仲ひとみ)は、日本とチェルノブイリの実状を紹介。原発事故後、より深刻さを増した被害への対応を明らか…

安息の地はいずこ

仕事にのめり込み、緊張感を味わうほど、平穏な世界とのギャップが大きくなる。家庭への帰還は危険だ。戦場同様、注意を払わなければいけない場所なのである。 『アメリカン・スナイパー』(米国、クリント・イーストウッド)の米軍狙撃手クリス・カイルは、…

空気の広がり

『フォックスキャッチャー』(米国、ベネット・ミラー)は、財閥御曹司による五輪金メダリストの射殺事件を安直なセリフやエピソードに頼ることなく、じっくり浮かび上がらせていく。解明を急がない。登場人物それぞれに不可解さを残したまま、観る者の深部…

再起のキューバサンド

オーナーの指示に従うだけの定番メニューから、屋台車で野心的な料理に挑む。 『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』(米国、ジョン=ファブロー) の料理人は、つまらぬイザコザから一流店での仕事を失って、ゼロから屋台でスタートするが、かえって活…

囲いを超えた批評

フェミニズムを突き抜け、文學の新しい実りまでをしっかりと見据える、男も女も超えた批評。それがなければ、女性作家を取り巻く伽は緩まないどころか、また新たな囲い込みを作ることになるだろう。(桐野夏生:巻末解説――笙野頼子・松浦理英子『おカルトお…

作品の成立

作品はわれわれを信頼して、その身をわれわれに委ねている。だからこそ、われわれもまた、その信頼にこたえなければならない。作品に対して忠実でいようと最善を尽くさなければならない。(小野正嗣『ヒューマニティーズ 文学』岩波書店) 文学において作品…

身近なファンタジー

前田司郎・脚本の『徒歩7分』(BSプレミアム)では、親の金で暮らす無職の30代女性が、アパートで独り暮らし。ほとんど部屋の中で過ごすだけだが、隣人やらストーカーやら元彼やら、人とのつながりは途切れず、それなりに喜怒哀楽がある。 遠出せず、身の回…

言葉の持続

「汝自身を知れ」というと簡単なようだが、実は自分を理解することさえ永久にできない。まして他人を理解することは絶対にできない。言葉によって伝達できるということには限界がある。というよりも、絶対言葉によっては伝わらないというものがあります。そ…

永遠のガールズ・ライフ

放置されているうちに移ろいゆく事象と、見つめる少女の成長。岡崎京子は、小学性時代の作文で、すでに時代を達観していた。 『岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ』(世田谷文学館)では、岡崎の原画やスケッチが展示され、時代に密着しつつ、未来を予測し…

音楽の魔力

『はじまりのうた』(米国、ジョン・カーニー)では、レコード会社を首になったプロデューサーが、英国から訪れた女をボーカルに据え、アルバム制作を断行。資金不足のため、ニューヨークの街がスタジオ代わり。混成バンドの奔放で繊細なメロディーを収録す…

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