2007-05-01から1ヶ月間の記事一覧

火を見れば

ろうそくを燃やしたり、暖炉の火を眺めるのは、ごく一般的な癒し術だ。廣末哲万監督の映画『14歳』(日本)では、教え子に無視されている中学校教師が、コップに入れた紙を燃やし、炎を見つめる。 はるか昔に発見されて以来、火は、人間に多くの恩恵をもたら…

秘密と友情

汚い部屋や整形体験をブログで披露してしまう。そんな女性が増えている。秘密の告白がストレス解消になっているという。(『日経新聞』25日夕刊) もっとも、顔の見えない相手に明かせる秘密は、まだ軽いほう。深刻になると、よほど信頼できる相手でないと、…

世界のはずれで愛は叫べない

『バベル』(米国、アレハンドロ=ゴンザレス=イニャリトゥ)は、たくらみのある映画だ。旅先で妻を銃撃された米国人観光客は、現地人に当り散らしたりして傍若無人にふるまうものの、妻の手術が無事に終わる。この夫婦の家政婦はメキシコ人。娘の結婚式の…

「けれども」から始まる

『ルパン三世』がテレビアニメとして登場したのは1960年代。反戦運動が下火になり、シラケという言葉の流行った時代だ。 宮崎駿が『出発点 1979〜1996』(徳間書店)で当時を回顧している。 スタート時のルパンは、しらけの世代。おじいちゃんの財宝をゴチャ…

家族殺し

家庭という空間は、複数の無防備な人間が密室に寝泊りする。自宅にこもった暴力団員が家族に発砲したという事件を例に取るまでもなく、常に危険性をはらんでいる。家族は、愛される対象であると同時に、殺される対象でもある。 ク・ナウカの舞台劇にもなった…

作家の見識

『R25』(5月17日号)のコラム『空は、今日も、青いか?』を読んで、おやっと思った。筆者の石田衣良が憲法について論じているが、「世界にはこれだけ紛争の種が現実としてあるのだから、日本も軍事力を持たないわけにはいかない」「憲法上の解釈でいえば、…

ケータイ小説論

『群像』6月号の匿名コラム『侃侃諤々』が、いわゆるケータイ小説について言及している。「ケータイ小説に宝が埋まっているかもしれないではないか」「いっそ新雑誌『ポップティーン群像』でも創刊するか」と茶化している。コラムの書き手がご年配なのか、「…

カバーの効用

カラオケの参考になるのが、カバーアルバムだ。バリエーションを知ってから、自分なりの歌い方を考えればいい。 Sotte Bosseのアルバムには、なじみのポップスがボサノヴァ・ジャズ・レゲエなどにアレンジされ、どれも軽快で、肩のこらないメロディーになって…

メモを使う

『トップランナー』(NHK)で、劇作家の本谷有希子が創作ノートを公開した。アイデアの思いつきだけでなく、行き詰ったときの自分に対する励ましまで、鉛筆で書き連ねている。 アイデアとは、原稿に向かえば湧き出るというものでもない。書く前に、いくつもの…

時効事件の秘密

ドラマ『帰ってきた時効警察』(テレビ朝日系)を見ていて心地いいのは、時効の事件を警官が趣味で解決するという設定や登場人物のユニークさもさることながら、スタッフもキャストも楽しんで作っていることが、伝わってくるからだ。 明かされる殺人事件自体…

ロッキー、最後の戦い

アルゼンチン映画の『ボンボン』(カルロス=ソリン)は、初老の男の物語だ。 ガソリンスタンドを失職したビジェガス。年を取り、これといった技能もない。仕事が見つからず、同居の娘にも冷たくされる。そんなさえない男に救いが訪れる。血統書つきの犬を偶…

長嶋有の立ち位置

いるのか、いないのか、わからない。長嶋有の連作小説集『夕子ちゃんの近道』(新潮社)の主人公「僕」は、浮遊物のような存在だ。アンティーク店に居候するが、素性も名前もわからない。そもそも、生きているのか、死んでいるのかさえも。 つかもうとしても…

いい読者

ワープロやパソコンの普及で、小説を書く人は増えているらしい。逆に読む人は減っているのかもしれないが、自然な流れである。漫画、ドラマ、映画、ゲーム……。娯楽はいくらでもある。他のジャンルは、ある面で情報量においても刺激性においても勝るし、才能…

ノベライズ

ノベライズ向きの映画とそうでない映画とがある。 『ゆれる』(日本、西川美和)は、つり橋での落下事故にかかわる兄弟の言動が明示され、なおかつ、多様な解釈ができる。人物の心理や事件の真相は、観客が素直にとらえてもいいし、意外な想像も可能である。…

枠組みから逃れて

『論座』6月号(朝日新聞社)で、将棋棋士の羽生善治と脳科学者の茂木健一郎が、コンピューター将棋と社会象について対談している。 羽生 人間の将棋は、ルールだけではなく、生理的に受け入れられる範囲の中で指していると思うんです。たとえば、絵を描く場…

待つことのレクイエム

別役実の不条理喜劇『やってきたゴドー』では、永遠に会えないはずのゴドーがあっさりやってくる。だが、彼を待っていたはずの男たちの反応は冷たい。 もはや、ゴドーに存在感はない。それだけでなく、この反応は、待つ楽しみを失った男たちの虚無感も表現し…

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