2017-01-01から1年間の記事一覧

本質の写真家

対象にのめり込みつつ、本質を的確にとらえた写真群。『ユージン・スミス写真展』には、被写体が田舎の医師であれ、漁村の公害被害者であれ、かかえた物語を見据えつつ、絵画的な構図を失わない写真家の作品がある。

台湾と日本

『Mr.Long ミスター・ロン』(日本・香港・台湾・ドイツ、SABU)の殺し屋は、台湾から渡日し、屋台料理人として帰国費用を稼ぐ。親しくなった少年の母をヤクザに殺され、一味を皆殺しにする。 筋立ては西部劇だが、台湾と日本の庶民をつなぐ強引なエピソード…

男たち

兄弟の確執、政治家の利権、ヤクザの横暴……。古めかしい因習も、地方都市が舞台であれば、再現が可能だ。 『ビジランテ』(日本、入江悠)は、底辺で足を引っ張り合い、決して上には刃を向けない男たちの非生産的な世界が、濃厚な映像でえぐり出されている。

ドラマの功績

時間軸の交差。個性派キャストのコラボレーション。小さなエピソードの鮮やかな回収と、根底の人生肯定。『監獄のお姫様』(TBS)は、宮藤官九郎の脚本が、よりさえ渡った喜劇だ。 女子刑務所で知り合った面々が、獄中で子を産んだ女の冤罪を晴らすため、出…

国と戦術

ホロコーストがないと言う主張。批判はたやすいが、信じ込んだ者の思考を覆すのは難しい。『否定と肯定』(英国・米国、ミック・ジャクソン)では、狂信的なホロコースト否定論者に法廷で勝訴するため、ユダヤ人歴史学者の支援弁護団が、戦術を駆使して、対…

世界のとらえ方

チェルフィッチュ『「三月の5日間」リクリエーション』(神奈川芸術劇場)は、旧作の再構築であり、批評的作品である。しかし、風俗・アイテムその他が、2004年の初演当時と様変わりしてしまった現在において、解説的なアプローチだけで有意義なのかどうか…

難民へのまなざし

フィンランドとて、難民には寛大でない。『希望のかなた』(フィンランド、アキ・カウリスマキ)で受け入れを却下された青年をかくまうのは、料理店の店主だ。妹と生き別れになった彼のために職と住まいを与え、希望を持たせるのである。 表情こそ無愛想だが、…

総合芸術

又吉直樹の原作、板尾創路の演出、菅田将暉と桐谷健太の演技。『火花』(日本)の連携は、総合芸術としての映画ならでは。若手漫才師の青春が、ありきたりなドラマに終わらず、フィクションであるがゆえに、ノンフィクションではない普遍性を有している。

恋愛劇

五反田団『あの人&あの人』(アトリエヘリコプター)は、『ロミオとジュリエット』のパロディーであり、パロディー以上のものではない。そのナンセンスぶりこそ、評価すべきものであろう。 恋愛劇は、すべてナンセンスなのだ。

解放する映像

息子たちに、あるいは自分自身に。 『エンドレス・ポエトリー』(フランス・チリ・日本)は、映像詩人アレハンドロ・ホドロフスキーが、旺盛に語る自伝であり、世界史であり、アートである。 情熱的で奔放な語り口に、意味を問う必要はない。観る者も呪縛か…

存在した侵略者

『予兆 散歩する侵略者』(日本、黒沢清)は、本編の前章としてWOWOWで放映された物を再編集したものだ。前半の恐怖感、後半の滑稽感は、本編と違う味わいがある。 人間の姿をした異星人は、はるか以前から、世界のあちこちに存在していたのかもしれない。人間…

戦時下でも

戦時下だって、映画は作るし、恋もする。 『人生はシネマティック!』(英国、ロネ・シェルフィグ)は、第2次大戦中、砲撃の絶えないロンドンで、映画作りに加わった女の数奇な運命を描く。 製作の現場・私生活・劇中劇のすべてが絡み合い、切ないが感動的な…

作家とオタク

……圧倒的少数派かもしれないが、僕にとっては『シン・ゴジラ』は物足りない作品だった。……それが何かと言うと「それで、庵野監督は結局、何をやりたかったわけ?」ということだ。……映画を作るとは、監督のやむにやまれぬ思いを込めるということだ。そういう…

この世界で

牧師や教団運営者も、抵抗する男も、信用できない。警察さえ、頼りにならない。 『我は神なり』(韓国、ヨン・サンホ)は、誰も頼ることのできない世界の無常さと、そこで生きていくしかない人間の必死さを、実写のようなリアルさで浮き上がらせたアニメだ。

絵画の鑑賞

絵画の解説は、どこまで必要か。観る者に委ねておく余地も必要だろう。 『怖い絵展』(上野の森美術館)の評価は、鑑賞者次第だ。

映像の小説

元夫から送り付けられた異様な小説を読み、女が男の歪みを目の当たりにする。『ノクターナル・アニマルズ』(米国、トム・フォード)は、小説のけん引力を、映像という手段で再現し、活写する。スタイリッシュなサスペンスだ。

荒野の実在

『あゝ、荒野』(日本、岸善幸)は、ボクシングに打ち込む二人の青年と、彼らを取り巻く人間たちの群像劇だ。寺山修司の小説を現代版にアレンジしたものだが、虚構の域にとどまる原作とは対照的な実在感がある。 魂のこもった映像。肉感的な役者。前・後篇合…

目には目を

銃社会に対抗するには、手荒な手段でしか、法案を可決できまい。『女神の見えざる手』(フランス・米国、ジョン・マッデン)は、そんな過程に基づくサスペンスだ。ジェシカ・チャスティン扮する凄腕のロビイストが違法すれすれの策を駆使してまで、工作活動に…

日本の体質

若い人たちに太平洋戦争の話をするときにはいつもいうんですが、当時の国民はみな戦争には「のっていった」んですよね。なぜなら、大きな流れの中にいたんですから。(高畑勲談―アーサー=ビナード:編著『知らなかった、ぼくらの戦争』小学館) 「戦争にの…

人の惑星

もはや、彼らが猿であることを必要とはしない。猿の惑星は、古今東西の人間界である。猿の葛藤は、人類史なのだ。 『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』(米国、マット・リーブス)は、前線から取り残された傍流の兵士たちによる強圧的な支配に猿たちが…

暴力の終幕

残忍な抗争劇は、喜劇である。 『アウトレイジ 最終章』(日本、北野武)は、極度の謀略といがみあいが、いかに滑稽さにつながることを、深刻かつ、遊び心に豊かに撮っている。 韓国の組織とのトラブルの末、内部分裂した組に落とし前を付けた末、命を絶つ大…

時を超えて

残っている仏像は限られ、どれが彼の手によるものかも一部しか、わかっていない。だが、彫った像の力強さ、奥深さは、今日においても、観る者を圧倒する。 『運慶展』(東京国立博物館)の仏像には、時空を超えた意志と表情がある。

夢の支え

米国は、あらゆるものを衝突させるが、それが新しいものを生む動力源になっている。NASAの現場もそうだ。有人宇宙飛行を成功させたスタッフには、有能な3人の黒人女性がいた。 『ドリーム』 (米国、セオドア・メルフィ)は、知性に恵まれた彼女たちの活躍ぶり…

ゾンビの救い

大家に家賃を催促される貧乏女。同居するヒモ男は、てんで頼りにならない。おまけに、町がゾンビに占拠され、ひたすら逃げ回る。彼女の救助に必死の父親も、その正体は……。 『ソウル・ステーション パンデミック』(韓国、ヨン・サンホ)の彼女は、ゾンビか…

子どもと世界

子どもの世界で、ごまかしはきかない。 だが、子どもの世界だからこそ、修復できる関係もある。たとえ、彼女たちを支える大人の社会に格差があったとしても。 『わたしたち』(韓国、ユン・ガウン)の少女たちには、世界の現実と可能性がある。

青春の範囲

恋やら家族ドラマはなし。『あさひなぐ』(日本、英勉)は、女子高生のなぎなたの試合と稽古にのみ焦点を当てることで、青春とアイドルの爽やかさを表現しえた。感情もある範囲にのみ絞っている。何もかもあるのが青春ではなく、何かしかないのが青春なのだ。

やすらげぬ郷

『やすらぎの郷』(倉本聰・脚本、テレビ朝日)は、老いたテレビ人のための理想の施設が舞台だ。老人たちは、長生きした分、様々なしがらみを施設にまで持ち込み、戦争・病気・色恋沙汰など、ありとあらゆるものが、濃縮されて、ぶちまける。若者たちは、忠…

寓話を超えて

戦争で痛めつけられた村から、愛する女を連れて逃げた男の旅。『オン・ザ・ミルキー・ロード』(セルビア・英国・米国、エミール・クストリッツァ)は、寓話を超えた寓話劇だ。動物も色彩も音楽も、すべてがエネルギッシュで、悲惨な話でありながら、活力を…

戦場の流儀

敵としてのドイツ軍ではなく、ドイツ軍内部の勇士を描いた『戦争のはらわた』(英国・西ドイツ)。軍の論理ではなく、個としての価値観に徹した陸軍小隊の伍長は、孤高を貫くがゆえに、上官から嫌悪され、戦場に取り残される。決死の戦術で自軍に帰還しても…

宇宙人の贈り物

地球人に寄生した宇宙人による侵略と虐殺という特異な事態を除けば、『散歩する侵略者』(日本、黒沢清)は、ごく日常的なドラマである。宇宙人の襲来がなければ、倦怠期の夫婦も、心のすさんだジャーナリストも、愛に目覚めることはなかった。宇宙人は、多…

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