2019-12-01から1ヶ月間の記事一覧

自己責任がすべてか

自助努力では、どうにもならない。まじめにこなせばこなすほど、歯車の狂うときもある。『家族を想うとき』(英国・フランス・ベルギー、ケン・ローチ)は、過酷で低賃金の仕事に就いたがゆえに、バラバラになっていく一家の物語だ。ここには、自己責任とい…

何が変わろうとも

『幸福路のチー』(台湾、ソン・シンイン)は一人の女性の現在と少女時代をアニメならではの時空処理で絵にすることで、変化の激しい台湾の現代史を浮かび上がらせる。 喜びもあれば、悲しみもある。幸福は長続きするわけではない。達観から見えるのは、絶望…

本来の生物

血なまぐさい殺戮場面を含め、『ゾンビ』(米国・イタリア、ジョージ・A・ロメロ)のタッチは、ホラーというより、ギャグ調も強い。ゾンビに追い詰められた者は、人間として生き残るのもいいが、食われてゾンビになる道もあろう。 格闘の現場となった百貨店…

プロレスのチャンス

犯罪からの更生も、夢の実現も、すべてプロレスにあった。 『ファイティングファミリー』(米国、スティーブン・マーチャント)は実在のプロレス一家を描いたヒューマンストーリー。プロレスは、客を楽しませるだでなく、人生をかけた人々にチャンスを与える…

男の半生記

妻子持ちの運転手が、マフィアお抱えの冷酷なヒットマンにのし上がるが、栄誉の影で多くのものを失なった。回想形式で綴られる『アイリッシュマン』(米国、マーティン・スコセッシ)は、凡庸な家庭人とやむことなき抗争社会の狭間を生きた男の半生記だ。

お家の壊滅

経済合理性を考慮すれば、藩主の不始末も、家臣の金遣いも、計画性のなさは否めない。討ち入り時のやりくりだけはなんとか帳尻を合わせたが、その後の成果は時代を超えたものとは言い難い。当時の価値観の中でだけ、評価を得たものと言えるだろう。 『決算!…

ジャーナリストの本道

記者クラブの慣習にどっぷり浸かった政治部の記者よりも、部外者である社会部の記者の方が、政治家に聞くべきことを聞けるのだろう。『i 新聞記者ドキュメント』(日本、森達也)は、政治家らに切り込む望月衣塑子の精力的な取材活動を追う。 市民に代わって…

ミイラのメッセージ

形状の違いはともかく、死後の身体を残そうという慣習は世界各地にあった。肉体は放置しておけば消滅するだけだ。実在の証明は、魂とは別に体をこちら側の世界に残しておくほかない。体は生前と異なるが、後世に何らかのメッセージを残すことはできるのだ。

濃密な家族

暴力をふるう父を殺して服役した母が、15年後に帰って来たときの子どもたちのとまどい。『ひとよ』(日本、白石和彌)は、極端な人間たちが衝突する濃密な家族劇だ。

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