2008-01-01から1ヶ月間の記事一覧

酔っ払い作家の夜

無頼派作家のブコウスキーは、酒と女にだけ明け暮れていたわけではない。 彼の分身たるチナスキーは、毎晩、ウイスキーとビールをあおりながらも、猛烈に小説を書いている。 一晩に十ページが目標だったが、次の日にならないと自分がどれくらい書いたのかま…

形の変化

実写に似せるほど、アニメはつまらなくなる。 アニメーションでは、役者が芝居をするわけではないので、人物の心理的変化や表情などは自然とはできません。だから、人物の揺れ動く気持ちが、形の変化として表れるのが面白いのではないかと思います。(『カフ…

本棚

本棚に置くのは、つやつやした新刊だけでなくてもいい。 ヒヨコ舎編『本棚』(アスペクト)に掲載された芥川賞作家・川上未映子の本棚には、太宰治の古本も並んでいる。『太宰治論』『太宰治文学批判集』といった研究本もある。 古いものと新しいものが並立…

悪魔の理髪師

学校の生徒に暴力をふるう教師、電車の乗客に痴漢をする警察……。信用できるはずの者が信用できない。それが現実である。 かみそりを持つ理髪師に、目をつぶった客がのどを見せるのは、危険なことだ。理髪師に魔が差せば、いつでも、のどをかっきられる恐れが…

嵐の前に

アスベスト後遺症、自殺未遂、離婚……。私小説作家・佐伯一麦の過去がいかに困苦の連続だったかは、今さら触れるまでもない。 たとえ、『ノルゲ』(講談社)で描かれたオスロ滞在の一年がいかに平穏であろうと、そして現在の妻との生活がどれだけ幸福に満ちて…

幻の景色

気になる光景に出くわすと、すかさず携帯電話のカメラで画像を撮る。そんな人々が増えた。 自分の眼で見つめれば、カメラに写らない景色が見える。レンズに頼り切ってしまうと、その人ならではの風景が見えなくなる。 『再会の街で』(米国、マイク・バイン…

不幸な子供

不運な子供ほど、紆余曲折の末に幸運をつかむ。あるいは、清らかな死を迎えて救済されるというのが、物語のパターン。 ところが、エドワード・ゴーリーの『不幸な子供』(柴田元幸・訳、河出書房新社)には、そうした救いがない。両親を失い、ごろつきに売り…

やわらかい手

年を取っている。ろくに外で働いたこともない。技能もない。普通なら職探しをあきらめてしまうところだが、『やわらかい手』(英国・ベルギー・ドイツ、サム・ガルバルスキ)の老婦人は、めげない。孫の手術費用がかかっているからだ。歓楽街で高級取りのチ…

「ベタ」の使い道

どこかで見たような材料でも、うまく組み合わせれば、オリジナリティーを出せる。「ベタ」なものに手を出せないのは、アレンジに自信がないからでもあろう。 フィクションにおける「ベタ」とはなんなのか。ひょっとして、まぼろしの高圧電線みたいなものなん…

演歌的人間

カラオケで演歌しか歌わないような人を、表現者として、信用していいものなのかどうか。 小室哲哉と近田春夫の対談が興味深い。 小室 演歌というものは様式美の究極みたいなものだと思っています。……こぶしにせよ楽器のソロにせよ、様式が非常にきっちりと決…

どう書くか

ケータイ小説が一般小説に与える影響について、石田衣良は主張する。 ケータイ小説によって既存の小説が売れなくなっているわけでもないので、我々に対する影響はほとんどない。既存の作家が後から追いかけて書いたとしても、うまくはいかない。力を抜いて書…

作家の思考

……不可解なことはなんでも狂気のせいにしてしまうのも、作家の才能不足の証明でしかない。(永江朗『批評の事情』ちくま文庫) 作家はお手軽な発想に迎合しない。プロセスを無視せず、現象も単純化しないのである。

行ったことのない場所

私が好きなのは今まで行ったこともない場所を訪ねることです。たとえば私にとって誰かほかの人の家を訪ねることはとても特別な意味を持っています。約束の時間が近づいてきて、バスに乗らねばならなくなったり、タクシーをひろわなければならなくなると、ま…

脱衣と想像

空想にふけりたいとき、窮屈な服は、思考の妨げになる。服はラフであるほど、よい。いっそのこと、裸でいるのもいいだろう。 『エンジェル』(ベルギー・イギリス・フランス、フランソワ=オゾン)の女性作家は、小説の執筆に没頭するとき、全裸になる。椅子…

物語の復活

『“REの時代”3』(朝日新聞5日朝刊、尾崎千裕)は、映画『恋空』『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の盛況、『ご当地キティちゃん』の人気、古い名曲のカバーアルバムのヒットなどに、「共鳴装置」としての物語の復活を見る。 ドラマが拡散してしまった時代だから…

清潔感

『夜顔』(ポルトガル・フランス、マノエル・ド・オリヴェイラ)の老紳士が、過去をネタに未亡人をディナーに誘う狡猾ぶりもさることながら、レストランの一室で待機する際の荒々しい鼻息も、印象的だ。 熟年者であっても、お行儀に無頓着な人は少なくない。…

親と子

『サラエボの花』(ボスニア・ヘルツェゴビナ、ヤスミラ・ジュバニッチ)の母は、娘をいつも気にかけているが、接し方がぎこちない。娘は、敵兵のレイプで産まれた子なのだ。 子どもと親の人格は別である。しかし、人は、血のつながりを無視して考えることが…

リアリティー

劇団・弘前劇場の演出家、長谷川孝治が語るリアリティーとは、役者それぞれが自分の使い慣れた方言でセリフをしゃべることだ。本番直前まで他の仕事をしてから、舞台に立ってもいい。自身の生活をひきずったまま、演技をするのである。(教育テレビ、2007年1…

幸の条件

突然、失職。住む家も追い出される。しかも高齢だ。 これが一般人なら、食べていくのにも苦労するところだが、『ここに幸あり』(フランス・イタリア・ロシア、オタール・イオセリアーニ)の元大臣ヴァンサンは、いっこうに困らない。母がアパートとお金を用…

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