改革の利用者たち

 構造改革と言われれば、有益な政策に受け取られるが、既得権と改革の利害検証が公益という立場で行なわれたわけではない。政治家も経済学者も財界人も、他国の策を日本に移し替え、人を利用し、方策を変えて実施したにすぎない。効率的に利潤を得たのは、限られた人々だけだった。


 小泉政権以降、不合理を指摘すれば、主流から外され、知恵と協調によって長年形成された社会は変貌していく。佐々木実『竹中平蔵 市場と権力』(講談社文庫)の主役は取材に応じなかったが、政治家であり、経営者でもあり、経済学者でもある彼が、それぞれの世界でかかわり、議事録にも残されていない者たちの表裏を、丹念な調査で浮かび上がらせている。


 他国の政策の盲目的な追随は、そのまま失敗も受け継いでいる。主導者には、公益という理念や目的がいっさいない。異を唱える者の意向が何ら歯止めにならないのは、倫理観を消失した者でも活躍できる抜け道が、発見されたからである。不合理な主張や方策でも、巧妙な使い手が道具を持てば、思惑に沿って進めることが可能になる。その流れは、欧米の昨今を踏襲するのである。

                   

 

旅のように

 奈良の集落。咲は、旅館の娘だが、母は父と別居し、義父も姿を消す。『霧の淵』(日本、村瀬大智)は、人とのやり取りや自然の光景だけをひたすら映している。光を見つめ、音に耳をすませば、同地で過ごしているかのような心地よさを味わえるだろう。

         

 

工場と農村

 長江のデルタ地域にある子ども服の縫製工場。家族経営の小さな作業場で働く若者たちの日常には、都市部では見えない生活や経済問題が凝縮されている。現代音楽をBGMにして、『青春』(フランス・ルクセンブルク・オランダ、ワン・ビン)が記録した他愛ないやりとりには、労使を超えた生き様がある。工場団地は狭くて、清潔感も乏しいが、農村に帰省した工員の実家は、都市部よりも、よほど広くて美しいという不思議さもある。

     

 

戦前の島

 先人が苦労して開墾した島が、要塞基地として利用され、武器や弾薬庫が配備される。装備が整うほど、敵に狙われる可能性は高くなるが、国の指令の下、抗議が認められる余地はない。若者で呼びかけて始まった住民投票も許可されなかった。町長は推進が島のためになると強行し、自衛隊員も従う。島にとどまる人々は、いずれは、かつてのように命を落とすことになると、危惧を口にする。

『戦雲(いくさふむ)』(日本、三上智恵)は悪夢が繰り返される一方、自衛隊員や町長を交えて、島民が楽しむ船の大会や祭も映している。立場を超えた触れ合いが可能なのは、一線を越える前までである。

         

 

欠陥だらけでも

 亡き父の好きな料理をするためにチキンを手に入れようとして、大騒動。娘はおてんばで、母は不器用。伯母や警官、運転手も欠陥だらけの人ばかりだが、『リンダはチキンがたべたい!』(フランス、キアラ・マルタ、セバスチャン・ローデンバック)は、鮮明な色彩と大胆な省略に絵柄によって、どのキャラクターも、親しみの持てるアニメになっている。                       

         

 

アートの役割

 世界的な写真家、ナン・ゴールディンのキャリアを追うだけでも映画になるだろうが、『美と殺戮のすべて』(米国、ローラ・ポイトラス)は、大勢の死者を出した鎮痛剤をめぐって、彼女が製薬会社を追及する姿をも映している。同性愛、薬物中毒者など、少数派の生き様を写し続ける彼女にとっては、当然の行動だった。多額の寄付を受けていた各国の美術館に抗議し、自身の展示品のある館でさえ、例外としなかった。

 活躍の場を失いかねない行動だったが、彼女の勇気は認められた。多数の美術館が、該当企業をスポンサーから外したのだ。美術館も、アートの役割を理解していた。

    

 

劇場ノート

 こまばアゴラ劇場は5月末に閉館となるが、サヨナラ公演に悲壮感はない。劇団は存続するし、駒場ではないにせよ、他の地域で上演は続くからだ。小劇場の息長い活動とジャンルを超えた実績は、これからも足跡を絶やさないだろう。

              

                    

 

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