死体をめぐって

『ハリーの災難』(米国、アルフレッド・ヒッチコック)のモチーフは、冒頭から死体になっている。彼の処置をめぐって、町の住人は、喜劇的なやり取りに終始する。埋めては堀り返し、また埋める。挙句は風呂場で洗われる死体。自分のせいで死んだのか? 住民の思い込みは、真相から、ことごとく外れている。死体は異臭を感じさせず、置かれた山の紅葉が異様に美しい。かくして、異色でありながら、エピソードにふさわしい展開に収まるのである。

   

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野球は人生

 部活で挫折した女子高生と、元プロ野球選手のアドバイザー。二人が働くバッティングセンターを訪れる女性客は、いわくつきの者ばかり。何かをかかえる女たちが、妄想の試合で登場する名選手の一言で救われるという『八月は夜のバッティングセンターで。』(テレビ東京)は、シンプルな筋立てでありながら、爽快な印象を残す。

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おごりを許すもの

  安倍政権であれ、現政権であれ、盤石どころか、突っ込みどころは多いが、それでもとらえられないのは、報道機関の弱体化に追うところが多い。望月衣塑子・五百旗頭幸男の共著『自壊するメディア』(講談社+α新書)は、ジャーナリストとしての意識を堅持する両者が、ぬるま湯と化した現場について明かしている。番人が役割を放棄したとき、何をしても許されるというおごりが蔓延するのは、自然な流れであろう。

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考証する人

 どうしてこうも俺たちと評価が違うんだろうと。乱暴に言うと、「スパイの妻」で違っちゃうのは、時代劇に電信柱が映っていても気にならない人と、それは違うだろうという人との、その差だと思うんだよね。気にならない人が多くなったんじゃないの(荒井晴彦談―森達也ほか『映画評論家への逆襲』小学館新書)

 

  さまざまな媒体で動画的なものは無尽蔵に作られる一方、まともに考証できる者、考証にこだわる者は、減少している。この分野は、AIに任せれば足りるというわけではない。

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人生の花

 坂本長利の一人芝居の原作でも知られる『土佐源氏』は、宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)に収録されている。馬喰だった盲目の老人が語るのは、外れ者だった生い立ち故の数奇な生涯だが、魅力は極道者を自認する彼というよりも、かかわりのあった女たちであろう。男たちに比べて、自由に制約のある日常の中で見せる気遣い。身分の差にとらわれず人間を受け止める心のありようが、恵まれたとは言い難い老人の枯れた人生に、花を添えるのである。

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戦争はまだ・・・

 終戦ドラマ『しかたなかったと言うてはいかんのです』(NHK)は、捕虜に対する人体実験という実話は元に、死刑囚や家族たちの葛藤を綴る。大学教授の指示によって、手術の立ち合いを強要された鳥居は、首謀者でもなければ、意思決定者でもない。求刑後の嘆願書提出は決してやましいものではないが、現場で何の抵抗もできなかったこと自体が罪ではないかと、苦悩する過程に、ドラマ性と現代性がある。戦争だから仕方ないとか、現場の空気からすればなすすべもないという詭弁が、何の逡巡もなく、まかりとおるとしたら、戦争はまだ続いていると言えるのである。

 

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