贋作の哀しみ

 種田山頭火の直筆日記に贋作が混ぜられたことが発覚。出版社が全集の該当箇所を削除した。『週刊金曜日』5日号掲載の記事(粟野仁雄氏)で、研究者の証明や俳句仲間の改ざんが報告されている。

 捏造者は、山頭火を利用し、自身の評価を高めようとしただけなのか。贋作には、名声を得られなかった者の、埋もれた哀しみがある。

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描く喜び

 専門的な教育を受けたわけでもない。若き日から才能を発揮したわけでもない。50代になり、独学で油絵を初め、家族の死や自身の認知症をものともせず、描き続けた画家の厖大な作品が、『塔本シスコ展 シスコ・パラダイス』(世田谷美術館)で披露された。

 技術とか、洗練さとかを越え、ただ描くことで生まれる喜び。どの絵にも、実感が詰まっている。

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作家の信頼

 自伝的小説が曲解され、批評文が全国紙に掲載されたことで、地方在住の家族が被害を受けかねない事態に陥る。作家は、SNSや媒体の新聞社を通じて、批評家と対話するが、論点はかみ合わない。文壇や読者には理解者もいるが、一方で文学界の閉鎖性や読解の基本欠如から来る重い壁にも悩まされる。

 桜庭一樹『キメラ―『少女を埋める』のそれから』(『文學界』11月号)は、小説『少女を埋める』の掲載後に起きた出来事の顛末が、男性と女性、中央と地方、旧文学と新文学といった多角的な視点で、時系列的に綴られる。あえて公開されたのは、作家としての覚悟によるものだろう。事実的な記述だけに終わらせず、批評家の一文にあった少女時代の孤独や境遇にも目を配っている。

……実はここにも埋められた少女が一人おり、……そういったファミリーヒストリーもまた、文芸時評がこのような騒動となった原因の一つだったかもしれないと、つまり、執筆者の抱えるトラウマが、ある思いこみに繋がり、無意識の領域に認知のゆがみを作ったのではないか、とも推測する。

すると痛みを感じる。

 でも、実際のことは何もわからない。すべてはわたしの想像だ。現実のことではなく、わたしの中でキメラになりつつある、想像上のC氏の姿に過ぎない……。

 想像の領域侵害を避け、一定ラインで、筆を止めつつも、ここには、逡巡があり、作家として、信頼すべき思考がある。

 

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思考停止の前に

 毒性が弱い半面、蔓延時期の長期化するコロナへの対策に、自粛要請や緊急事態宣言が必要なのか。欧米よりも免疫力のある日本の風土で、治験実績の乏しいワクチンを普及すべきなのか。

 インフルエンザなどとの比較検証から、昨今の方策に一貫して疑義を唱えた小林よしのり。『コロナとワクチンの全貌』(小学館新書)で対談した井上正康が、何度かのコロナ感染で免疫が強化された日本人の実状を医学的に立証している。

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彼女たちの小宇宙

 定番ラブコメの三角関係ではない。いわゆる同性愛物とも違う。親や教師の抑圧もあるが、彼女たちの世界を決定的に圧殺するほどではない。『ひらいて』(日本、首藤凜)は、は高校を舞台に、美少女だが、つかみどころのないヒロインと、病弱な親友、陰のある男との関係が、小宇宙的に伸び縮みする。既成の枠にとらわれないことで、それぞれが自分らしさを実感するという解放感がある。

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騎士の物語

『最後の決闘裁判』(米国、リドリー・スコット)が騎士同士の確執を描くだけなら、中世の標準的な物語に終わったろう。後半、騎士の妻が夫の友人に強姦されたと告白することで、たちまち現代性を帯びた展開となる。

  裁判を占うのは、証拠調べではなく、原告と被告の決闘だ。夫と友人が一騎打ちをし、夫が負ければ、妻も火あぶりとなる。恥を忍んで証言したところで、被告が偽証と主張すれば、何の効果もない。妻は、自分を信じぬ夫のメンツ争いに利用されたばかりか、胎内の子どもさえ、失いそうになる。

   真実を明かせず、男社会の支配に服した女。彼女の視点があれば、騎士の英雄譚は、別の物語になる。

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任務の幻

      兵士ではなく、スパイ。任務のために農民でさえ、殺し、食料を奪い、戦後になっても、潜伏し、生き残った上官の指示なくしては、帰還しなかった男。『ONODA 一万夜を越えて』(フランス・ドイツ・ベルギー・イタリア・日本、アルチュール・アラリ)は、功罪を抜きにして、小野田寛郎・旧陸軍少尉の離島生活を訓練兵時代から追う。兵士や市民と違い、時代を経ても変わることが許されなかった男の孤独感。彼が従った指令の正当性も、米軍抗戦の実現性も、幻にすぎなかったが、信じたという姿は、この映画によって、永久に刻印されたのである。

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