2015-04-01から1ヶ月間の記事一覧

芸術の根底

もはやパワハラとしか言いようがない音楽教師の狂人めいた指導である。『セッション』(米国、デイミアン・チャゼル)の青年は、音楽学校でジャズの名物教師からドラムの特訓を受けるが、指導は機械のように正確な演奏と、人間性を無視したいやがらせに耐え…

アイドルであるために

セクシー写真を提供しても、アイドルとしての一戦は崩さない。解散ライブを控えたパフォーマンスアイドル「Bis」のメンバーそれぞれにAV監督たちが接近し、ゲームがてらに彼女たちからキスや抱擁を勝ち取ることを競い合う。 異色ドキュメント『劇場版 BiS…

ロック魂

パンクロックのボーカリストにして、お菓子屋の店主。ドキュメンタリー『あっちゃん』(日本、ナリオ)は、ライブと個人店経営を両立させる「ニューロティカ」のイノウエアツシを追う。 メンバーの脱退や母の老化など、公私ともに様々なトラブルに悩まされな…

責任者は戦争自体なのか

戦争犯罪を戦争自体やファシズムや軍国主義といったレーベルに負わせるとき、個人の責任はうやむやになる。 辺見庸は『週刊金曜日』4月17日号で、武田泰淳『汝の母を!』を題材にして、「すべてを「戦争」のせいにしてきた論法の盲点」に言及している。 人間…

見せつける映像

汚物と死体だらけの世界が、まるでドキュメンタリーであるかのごとく、ひたすら目の前に映し出される。 『神々のたそがれ』(ロシア、アレクセイ・ゲルマン)は、中世絵画のような異世界が、画面の隅々まで実写化され、おぞましい世界が、観る者を圧倒する。…

作り手の好感度

宮崎吾朗監督のアニメ『山賊の娘ローニャ』(NHK)は、気のいい父母や山賊仲間と森で暮らす少女のささいな体験記だ。 森には不可思議な生き物も暮らすが、常に両親との関係を維持するローニャは、冒険といっても、幾日か、実家から離れて暮らすぐらいで、そ…

生きている実感

ピカソや手塚治虫は、時代に取り残されることが怖くて、日々休まずに描いていたわけではない。生きることは、描くこと、表現していることが、生きることだったからこそ、休む必要がなかったのだ。生きている実感のためにどうしても描き続けなくてはならない…

日本的狂気

現代の日本で何かをフェアに提出するとき、そこには何が映りこんでいるのだろうか? ……現代の日本的な狂気(もしそれを狂気と呼ぶなら)、それは「曖昧などんかんさ」だと思う。(岡崎京子『オカザキ・ジャーナル』平凡社) 1992年のエッセイである。岡崎は…

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