日本的狂気

 現代の日本で何かをフェアに提出するとき、そこには何が映りこんでいるのだろうか?
 ……現代の日本的な狂気(もしそれを狂気と呼ぶなら)、それは「曖昧などんかんさ」だと思う。(岡崎京子『オカザキ・ジャーナル』平凡社

 1992年のエッセイである。岡崎は、すでに現在を予告していた。
 いや、当時も今も、こちらの世界は変わっていないのだ。

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