2024-03-01から1ヶ月間の記事一覧

境遇

ハンセン病を患い、少女時代から80年、瀬戸内海・長嶋の療養所で暮らす。手の指や足を失い、両親とも死に別れた。それでも『かづゑ的』(日本、熊谷博子)の被写体は、様々な葛藤を経て、境遇を受け入れ、今を楽しみ、これから先に向けても、あれこれ挑む。…

ニュータウンの時間

世代の違う3人の女たちが、多摩ニュータウンを朝から夜まで散策し、住人と触れ合う。引っ越しした旧友、徘徊する老人、亡くなった幼なじみ。日差しの下、団地の広場や坂を上り下りし、博物館を訪ねたり、住人の古いビデオを見つめる。 『すべての夜を思い出…

事件後の家庭

夫の転落死の真相はいかに。『落下の解剖学』(フランス、ジュスティーヌ・トリエ)は、事件を究明する法定サスペンスであり、一見仲睦まじく見える家族の深遠であり、盲目の息子がとらえた非情な現実でもある。 妻と息子の関係は、裁判の決着だけで修復でき…

ウクライナドラマの緊迫感

精神カウンセラーがボランティアの運転手として、いわくつきの人々を国境まで送り届ける。依頼人は、それぞれ複雑な事情がある。それだけでもドラマの要素として十分だが、運転手自身が離婚予定という事情に加え、救援基金で夫が汚職をしていたことを知るば…

脱力の普及

僕は84年に「逃走論」、85年に「ヘルメスの音楽」という本を出しますが、もともと怠惰でまったく生産的ではないし、別に何も成し遂げなくても、のんびり暮らして気楽に死ねばいいじゃないか、という人間(ニーチェなら「最後の人間」や「本人」と呼んだよう…

争いを超えて

中上健次論においても、解釈の妥当性をめぐって正当・異端を争うのではなく、他の中上論を排除しない展開のしかたが望ましい。キリスト教的な護教主義による多元テクストの抑圧を避け、仏教的な、言説の自在な発展を規範としなければならない。(四方田犬彦…

自分の時間

『フジヤマコットントン』(日本、青柳拓)の被写体は、家族でもなければ、職員でもない。富士山の見える福祉施設に通う障害者たちだ。 絵を描く。花を世話する。綿をつんで布を織る。寝たいときはひたすら寝る。深刻さに目を向けがちな既存のドキュメンタリ…

猟師の思索

猟師と獣の関係は、大衆や取材者と芸能人の関係にも似ていた。狩猟者は、獲物をかわいそうと思いながらも、肉を切り裂き、美味しいと感嘆して、むさぼり食う。いつか自分も、食われ、朽ち果てることを予期しながら、それでも生きる。 『WILL』(日本、エリザ…

映画の力

ひさしぶりの最新作『瞳をとじて』(スペイン)に至るまで、31年間、映画を撮らなかったビクトル・エリセは、決して映画の力に失望したからではない。主人公を通じて、失踪した俳優を探し求めることで、新たな結びつきを可能にした。相手は、知人だったり、…

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