2008-03-01から1ヶ月間の記事一覧

ぼくのいる時間

演劇集団キャラメルボックスの『きみがいた時間 ぼくのいく時間』(サンシャイン劇場)では、老紳士が結婚前の女に秘密を打ち明ける。私は君の事故死を防ぐために、過去の世界からタイムマシンでやって来たのだと。 タイムマシンが実在しない以上、現実のわ…

道楽商売の損得

新銀行東京の経営悪化要因についての実態が、「トヨタも逃げ出す新銀行東京」(『週刊金曜日』3月28日号、本誌取材班)で、指摘されている。焦げ付きの大半が中小企業向け融資ではなく、資金運用による損失であるという証言もあり、融資先保護を名目とした同…

芸術の価値

「社会性の強い作品」「メッセージが生硬な表現」も「きちんとエンターテインメントとして成立している」なら許される。「娯楽」の領域に踏み込むことで初めて「一人前の大人」としての扱いを受け、ショービジネスの世界に身を置く「権利」を勝ち取ることが…

朗読

単調ではいけない。かといって、無駄に芝居がかってもいけない。 朗読は簡単ではないのである。評論家の武藤康史は、著書で竹中直人を名朗読家に挙げている。 感情をこめるとなったらうんと精密にやる。そうでなければ淡々と読む。この緩急が正確なのだ。(…

境界線

リービ英雄は、大学で日英翻訳論なる講義を受け持っている。俳句と短歌を学生たちに英訳させるのである。 実際に書かれた日本語の表現を、外部のことばという鏡に映すことによって、その本物の美しさを浮き彫りにしようとする。外国語に翻訳するのが目的では…

小説しかできないこと

「私はテレビとか映画にできない、小説しかできないことをやりたいんです」 山崎ナオコーラの発言である(「十一人大座談会 ニッポンの小説はどこへ行くのか」『文學界』4月号)。 小説しかできないことがあるとすれば、それは何か? 皮肉なことに、山崎の著…

名訳の秘密

小説の目利きが小説好きとは限らない。 もしかしたら、僕は小説というものをそんなに好きじゃないのかもしれない。それがいいのかもしれない。そんなに好きじゃないから、僕が終わりまで読み通せるものってのは、相当良質なものだけなんじゃないか。……結果と…

秩序幻想

米国映画の男は、武装して本気になれば、たとえ相手が腕ききの殺し屋でも、簡単には屈しないものだった。ところが、『ノーカントリー』(ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン)の元ベトナム帰還兵は、入念な対応にもかかわらず、モーテルであっさり殺さ…

ディズニー映画の生命力

作っている側も、うそ臭さはわかっている。『魔法にかけられて』(米国、ケヴィン・リマ)は、ディズニー映画の作り手のそんな本音を明かして茶化しつつ、それでも夢物語を信じようと訴える。批評的でありながら、まことに前向きな映画だ。 アニメの世界の王…

偉大なる生活

五反田団『偉大なる生活の冒険』(こまばアゴラ劇場)では、ひも状態のぐうたら男が、同居する女を慰めるとき、頼りがいのある男に変貌する。男が立派になったわけではない。女が不倫に失敗して混乱し、精神状態を低下させたために、立場が逆転しただけであ…

本当の敵

ルームメイトの手順ミスで、女子大生が最悪の運命をたどる。 余分にホテル代を取られ、手術担当の男には性的関係を強要される。胎児の処分で夜の街を歩き回り、ホテルに戻ると、友人が悠然と食事をしていた。 常人なら友人を許せないだろう。だが、『4ヶ月…

政治と身体

受動的なことは政治の放棄とは違うし、能動的であるより劣っているわけでもない。結局、ひとりひとりが生きる時間をどう決めるのか、決めないのか、決めさせられているのか、決めさせられていないのか、それは政治が及ぶということなので、ひとりひとりに大…

計算と天然

ひょっとしたら本当は本当に、ここには何もないのじゃないか? という疑問というか不安がもたげてきたりもして、なんだかよくわからなくなってくる……とかなんとかつらつら考えてるうちに、ついつい最後まで一気に読まされてしまう、というのがいつものことで…

隠れ劇

弘前劇場『檸檬/蜜柑』下北沢ザ・スズナリ)の舞台設定は、小さなビリヤード場。八百屋の2階にあり、古本屋を兼ねている。 なんのドラマもなさそうなさびれた場所だが、店主親子や客たちのよからぬ事情が明かされていくに従って、次第に緊迫感を帯びてくる…

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