家族殺し

mukuku2007-05-20

 家庭という空間は、複数の無防備な人間が密室に寝泊りする。自宅にこもった暴力団員が家族に発砲したという事件を例に取るまでもなく、常に危険性をはらんでいる。家族は、愛される対象であると同時に、殺される対象でもある。
 ク・ナウカの舞台劇にもなった『奥州安達が原』では、一夜の宿を求めた妊婦を、お腹の赤ん坊を薬にするために、老婆が殺してしまう。女が生き別れの娘であることを、老婆は知らなかったのである。
 親が子を殺す、あるいは子が親を殺すとき、相手が血縁関係にあるかどうかの意識は、忘れ去られてしまう。頭に血が上った殺人者に見えるものは、憎しみの対象であり、利害の障害物である。この期に及んで、殺害の撤回は難しい。家族殺しを防ぐには、もっと前にバリアを張るしかないのである。
 バリアは、発砲を抑えるために警察の権限を強化することでも、家族にも銃を取らせることでもない。目には目を式の発想とは、逆の方向から考えるべきである。
 

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