「けれども」から始まる

mukuku2007-05-23

ルパン三世』がテレビアニメとして登場したのは1960年代。反戦運動が下火になり、シラケという言葉の流行った時代だ。
 宮崎駿が『出発点 1979〜1996』(徳間書店)で当時を回顧している。

 スタート時のルパンは、しらけの世代。おじいちゃんの財宝をゴチャマンと受けつぎ、大邸宅に住み、もはや物や金でアクセクせず、倦怠(アンニュイと呼べといわれた) をまぎらわすために、ときたま泥棒をやってみせる男として基本設定された。

 その頃、テレビアニメの技術はひどくて、手抜きや借り物ばかりだったが、宮崎はめげなかった。

 けれども、ぼくらはシラケてなんかいなかった。……演出を入れかわるはめになったぼくら(高畑勲と私)は、まずなにより"シラケ"を払拭したかった。

 かくして、ルパン以下、キャラクターの性格を刷新した。

 ぼくらはヒイヒイいったにしろ、やりたい放題をやって、最終回で斬れっこないぶあつい金庫を五ヱ門にくりぬかせ、ゼニガタを号泣させ、セイセイしてルパンを終えた。

 宮崎たちのエネルギーが牽引力となり、結果として、ルパンは人気シリーズになった。出発点は、時代に対する「けれども」という申し立てだった。

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