ケータイ小説論

mukuku2007-05-16

『群像』6月号の匿名コラム『侃侃諤々』が、いわゆるケータイ小説について言及している。「ケータイ小説に宝が埋まっているかもしれないではないか」「いっそ新雑誌『ポップティーン群像』でも創刊するか」と茶化している。コラムの書き手がご年配なのか、「ありえなーい」「なんだかなー」「ってホント突然」などと、若者言葉をぎこちなく使って、ギャグを飛ばしているが、どれも寒いだけである。書き手の戯画的なはしゃぎかげんから察すると、本心は狭い文芸スタイルに固執し、納得していないようだ。
 ケータイはツールである。当初、邪道とされた大衆向けの新聞小説からもやがて傑作が誕生したように、ジャンルの成熟につれて、ケータイ小説からもいずれ佳作が生まれるだろう。
本の雑誌』6月号で、書店員の高頭佐和子がケータイ小説読み比べレポート『暴力男とタトゥーにご用心!』を発表している。美嘉やメイなど、売れっ子作家の作品を取り上げながら、パターン化されたエピソードに味付けする魅力を語り、共通要素として、「どの小説にもDV男が出てくる」ことを指摘する。
 暴力男とは、男というものの実体であり、女性にとって仮想の恐怖と言える。この存在をどのように掘り下げ、どう書くか。それこそが肝要であり、ツールやスタイルは自由である。 

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