『論座』6月号(朝日新聞社)で、将棋棋士の羽生善治と脳科学者の茂木健一郎が、コンピューター将棋と社会象について対談している。
羽生 人間の将棋は、ルールだけではなく、生理的に受け入れられる範囲の中で指していると思うんです。たとえば、絵を描く場合でも、いくら自由に書いていいと言われたとしても、その自由にはある一定の枠組みがありますよね。でも、今のコンピューターが指す手は、明らかにその範囲外のものなんです。
生理的なものが環境の変化に左右される以上、人間の思考や行動の形式も時代に応じて変わる。将来は原形も消えうせるほどに変貌するのかどうか。
現代の人間も、古代人の行動原理をどこかに残している。それは工業製品にも言えることで、乗り物であれ、家電製品であれ、古い時代の原理が土台になっている。コンピューターならば、原理という枠組みを抜けることができるのだろうか。
進化するほどにコンピューターが枠組みに取り込まれていくとすれば、開発した人間も、自身の呪縛を知ることになるだろう。生みの親からの呪縛である。しかし、これまで、人間はそれを認めまいとした。枠組みからの離脱をもくろむのが人間である以上、人間が生み出したコンピューターも、枠組みからの逃亡を図るだろう。
そんな予測に対して範囲外の行動を取るのが、コンピューターなのかもしれないが、その行動さえも人間の想定内に収められてしまうかもしれない。人間とコンピューターの囲いあいは、どこまで続くのだろうか。