2008-01-01から1年間の記事一覧

自由のためのシステム

万人が健康で文化的な生活を営めるわけではない。 『この自由な世界で』(英国・ドイツ・イタリア・スペイン、ケン・ローチ)のシングルマザーは、失敗続きの人生を送っている。子どもを穏やかに育てたいと思っているし、独立して事業を始めるほど、前向きに生き…

ひきこもらない人

ひきこもりの男が、ピザ運びの少女に会うために、10年ぶりに外へ出た。そのとき、町中の人間が、ひきこもりになっていた。 オムニバス映画『TOKYO!』(フランス・日本・韓国・ドイツ)の1本、「シェイキング東京」(ポン・ジュノ)である。 そのとき、働い…

構造と力

若い書き手が、初めての作品を、書く前から(難しくなりますが)構造化することは不可能です。しかしかれに書き直そうとする意志の強さがあれば、その作業がかれを構造的な小説の書き手とします。つまり初めは構想できなかったものを、次つぎにかれ自身の具…

悪役

犯罪を楽しむ。自分が痛めつけられることさえ、快感を得る。バットマン・シリーズの最新作『ダークナイト』(米国、クリストファー=ノーラン)の敵役ジョーカーは、そんな男だ。 現代では、善と悪の間を揺れ動く悪役のほうが受けはいい。しかし、ひたすら狂…

崖の上で

子どもは独力で巣立ちができるのではない。だれかの後押しがいる。支えになれるのは、信頼できる大人たちだ。 わんぱくな子どもたちを良心的な大人たちが支える『崖の上のポニョ』(日本、宮崎駿)は、父を殺して袋小路に陥った少年の逃避行『ゲド戦記』(日…

体験という言葉

あらゆる体験は、現象の一部であり、主観的なものにすぎない。 私たちはごく間近から原爆投下を目撃したわけだが、あの雲の下で、あとで知ったような悲惨な状況が繰り広げられているとは想像もしなかった。「体験する」などという言葉を軽率に口にすることは…

空に浮かんで

いじめっこ、厳格な教師、頑固なおばあさん……。『赤い風船』(フランス、アルベール・ラモリス)の少年にとって、街は決して住みよくないだろう。 少年は風船をつかんだまま、空中を飛んでいく。 このラストは、悲劇だろうか。風船がしぼめば、少年は落ちて…

放浪と定住

『百万円と苦虫女』(日本、タナダユキ)の姉弟は対照的な生き方をしている。 成人の姉は、バイトをしながら行き先を転々と変え、まだ小学生の弟は、いじめられていても転校せず、地元の中学に進学することを決めている。 当然、生きづらいのは弟のほうだ。…

日本語文学から離れて

私は日本語文学という意識を持ってなくて、多くの人に読んでほしいと思っています。中国語でも小説を書いてみたい。(揚逸談「日本語で紡ぐ意味と喜び」朝日新聞8月3日) 日本語の言語表現のみに神経質な一部の芥川賞選考委員の思惑とは別に、一国の言語制約…

勝負どころ

アニメ会社に入社した押井守は、運も味方してか、3週間目に本番の絵コンテを任された。新人に演出をさせるのは、社内では異例のことだった。 ここが運命の分かれ目だ。この瞬間を逃してはだめだ、という経験は誰にでもあるはずだ。ふだんはちゃらんぽらんの…

文芸批評の対象

東浩紀は「文芸誌を中心とする狭い純文学の世界でのみ作品を論評することにはもはや意味はない」と厳しく断ずる。……「純文学のみを論じる対象とする文芸批評は、文学の最先端がどこにあるのかという認識に問題があるのではないか」(日本経済新聞8月2日朝刊)…

戻るために

「いったんあっちの世界をのぞいて、どう戻ってくるかに人間の本性が出てくる。それが宮さん(補・宮崎駿)は5歳の子供で、私は草薙水素という“女”だったということでしょう」(押井守談・朝日新聞28日夕刊) 『崖の上のポニョ』『スカイ・クロラ』を指す発言…

物語の生まれるとき

「何もしてやれなかったなぁ」という後悔からこの映画は出発している。だからこそ逆に、明るい映画にしたいと強く思った。(是枝裕和―『歩いても歩いても』のプログラムから) 物語は逆説から生まれる。

長い目で

流れに乗れなかったり、つまずいたりしても、長い目で見たらたいしたことではありません。人は、自分に向いているところに落ち着くものです。(桐野夏生談「仕事力」朝日新聞7月20日) たえず悲観的であれば成果が出るというわけでもない。楽観的でいること…

二重の顔

だれもが二重の顔を持つだろうが、使い分けは、たやすくない。 『イースタン・プロミス』(英国・カナダ、デヴィッド・クローネンバーグ)のニコライは、ボスに認められてマフィアに入るが、彼には別の顔があった。暴力に加担しながらも、人道無視の連中とは…

死刑の前に

犯罪は個人のみの問題ではなく社会の問題であるからこそ、向かうべき方向は「犯罪を減らすこと」であって、我々を困らせた人間を殺すことではない。(田中優子「殺さず、悩み続けることに意味がある」『週刊金曜日』18日号) 死刑が実行されれば、受刑者は罪…

バランス

私が呆けた母を自分の仕事もつき合いもやめて介護したら、毎日ヒステリーになって、もしかしたら虐待まがいのことをしたにちがいないと思う。(佐野洋子『シズコさん』新潮社) なんにせよ、それ一筋でないほうが精神のバランスにはいい。

フィクションの意義

劇場のなかに人は、全体が喪われたことを確認するのではなく、喪われた全体を求めるなにものかをみにいくのであり、喪われた全体を回復する意志をみにいくのである。(渡辺保『劇評に何が起ったか』駸々堂出版) 演劇について書かれた一文だが、あらゆるフィ…

余裕のない国

弱者男性は老人になることすらできません。あと一〇年程度で、首をつるか路上で凍死するか、それとも餓死かという選択を迫られます。……企業の人件費に限りがある以上、高齢者の再雇用は、我々のように仕事にありつけない若者が、またもや就業機会から排除さ…

常識

秋葉原無差別殺傷事件について、なだいなだ氏が、常識の見直しを提言している(朝日新聞8日朝刊)。 「皆はこの社会の常識に守られているが、私は守られていない」と誰かが苦痛を感じているとき、私たちはどうするべきなのか。 常識を盾に、その人を無視した…

批評と実作

チェフィッチュの岡田さんや、五反田団の前田さん、ポツドールの三浦さんといった新しい才能が次々に登場し、私もまた、彼らの仕事との関係で語られることが少なくない、その新しい世代は、「現代の若者たちの言語感覚をリアルに捉えた新しい文体」と評価さ…

窓際部署

忙しいわけではない。成果が期待されるわけでもない。杉下右京と亀山薫の所属する警視庁特命係は、窓際部署であるからこそ、じっくりと捜査ができる。『相棒―劇場版―絶体絶命! 東京ビックシティマラソン42.195km』(日本、和泉聖治)でも、マラソン大会の予…

川の流れ

高橋一清は、文藝春秋の元編集者。芥川賞・直木賞選考の事務局長も務めた。作品の選出にあたっては、読者や選考委員を意識して、前回と違う傾向のものを入れるようにしたと言う。 私たちはまさに文学の流れの中にいて、芥川賞直木賞のような大きな賞は、その…

償い

幼児殺しの償いもせぬうちに、神から許されたと思い込む受刑囚。彼の顔は晴れやかだ。しかし、神をだしにしたところで、罪は消えないものである。 『シークレット・サンシャイン』(韓国、イ・チャンドン)で、遺児の母親が、受刑囚の表情を見て、荒れ狂うの…

原風景

『森山大道展』(東京都写真美術館)のモノクロ写真は、忘れられた原風景を鮮明に呼び覚ます。 十年も二十年も前にあった風景など、すでに誰ひとりとして克明には憶えていないはずだ。変わったことすら憶えていないほど、人間は目の前の風景をしたたかに日常…

グローバリズム

夫婦間のもつれを描くとなると、得てして、限られた人間の小さな世界に収めてしまいがちだ。けれども、『ぐるりのこと。』(日本、橋口亮輔)は、夫が法廷画家として、猟奇殺人犯など、様々な被告人を見つめることで、夫婦だけの世界から、愛憎劇の視野を広…

歯止め

復員後に荷物を盗まれ、自爆自棄で強盗に転落した男と、踏みとどまって刑事になった男。境遇が似ていても、自分に歯止めをかける意志があるかないかで、運命は変わる。 戦後の対照的な人間を描き分けた『野良犬』(日本、黒澤明)は、きわめて現代的な映画で…

死刑の始末

死刑執行時の感触を思い出し、男は旅先で嘔吐する。 『休暇』(日本、門井肇)の主人公は刑務官だ。二階から落ちてきた死刑囚の体を支え、首吊りを手助けする。激しく動いていた受刑者の体が、やがて止まった。 死刑とは、書類のやり取りや感情の提示だけで…

男社会

……池田小学校事件、犠牲者はひとりだが無差別な、いわゆる「誰でもよかった」事件、海外の例を含めて、すべて犯人は男でしょ。これは男性特有の犯罪なのだ。……卓袱台返しのように、八つ当たりが公然と許される歴史、文化は女には無い。……彼らはなぜ、多くの…

窓際文学

文芸作品の不作が叫ばれるのは、今に始まったことではない。吉岡栄一『文芸時評 現状と本当は怖いその歴史』(彩流社)は、正宗白鳥や小林秀雄らが文芸時評を担当していた頃でさえ、文学悲観論が常態化していたことを明かしている。 それでも、純文学は小説…

アクセスカウンター