2008-06-18 窓際文学 文芸作品の不作が叫ばれるのは、今に始まったことではない。吉岡栄一『文芸時評 現状と本当は怖いその歴史』(彩流社)は、正宗白鳥や小林秀雄らが文芸時評を担当していた頃でさえ、文学悲観論が常態化していたことを明かしている。 それでも、純文学は小説にとっての研究開発部門である。小説の可能性を広げ、付加価値を高めていたことは確かだろう。 問題は、現在でも実験室としての機能を果たしているかどうかだ。それすらも娯楽小説の分野で足りているとすれば、席を窓際に置くしかないのである。