夫の転落死の真相はいかに。『落下の解剖学』(フランス、ジュスティーヌ・トリエ)は、事件を究明する法定サスペンスであり、一見仲睦まじく見える家族の深遠であり、盲目の息子がとらえた非情な現実でもある。
妻と息子の関係は、裁判の決着だけで修復できるわけではない。閉廷のあと、長い時間を費やすだろう。
僕は84年に「逃走論」、85年に「ヘルメスの音楽」という本を出しますが、もともと怠惰でまったく生産的ではないし、別に何も成し遂げなくても、のんびり暮らして気楽に死ねばいいじゃないか、という人間(ニーチェなら「最後の人間」や「本人」と呼んだような)なので、年長者の推薦で何となく物を書き始めたものの、毎年のように本を出すのが面倒になりました。(浅田彰『アイデンティティ・ポリティクスを超えて』―『新潮』2月号)
早熟な知性と解析力に恵まれながらも、欲のない浅田の脱力ぶりは、欲望と上昇志向にまみれた人たちとは対極をなしている。もっとも、性差や国籍・身分にとらわれない平和とは、こうした思考の普及にあるのかもしれない。
猟師と獣の関係は、大衆や取材者と芸能人の関係にも似ていた。狩猟者は、獲物をかわいそうと思いながらも、肉を切り裂き、美味しいと感嘆して、むさぼり食う。いつか自分も、食われ、朽ち果てることを予期しながら、それでも生きる。
『WILL』(日本、エリザベス宮地)は、スキャンダルで事務所を追われ、山にこもった俳優の生活に、カメラが入り込む。人がいる限り、生きることの業は、都会でも山村でも残存し、被写体による堂々巡りの思索は、ラップ歌手の叫びをも超えた誠実さがある。