あの時代、あの瞬間

      映像に音声が合わないというトラブルを克服し、半世紀の時を経て公開された実写版『アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン』(米国)。このドキュメントで監督のシドニー・ポラックが優先させたのは、ミュージックビデオとしての洗練度ではない。魂のこもったアレサ・フランクリンの歌声。それに、教会でミュージシャンや聴衆を集って撮影した時代の熱気であり、多くの人々が音楽を通じて結びついた瞬間である。

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もう一つのコロンボ

 刑事と犯人の直接的なやり取りがいっさいない『刑事コロンボ 初夜に消えた花嫁』は、シリーズとしては異色だが、こうした作品があることで、定型の良しあしを再確認できる。

 誘拐犯は、これまでのコロンボ物にはなかった猟奇的な気質の持ち主だ。それでも、彼が誘拐した花嫁の顔に傷をつけたり、暴行を加えるわけではない。シリーズとしての節度は、ぎりぎり保たれている。新郎である甥のために一睡もせず、わずかな手がかりから犯人を突き止めようと奔走する。花嫁の安全を考えて、現場への突入時に上司を説得する。身内思いで、頼りがいがあるというコロンボのもう一つの側面が、本作で補強されたと言えよう。

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浮浪者のための映画

 伯母の遺産を受け継ぐどころか、一文無しになった中年男が、それでも働かずにパリの街をさまよう。金やパートナーのいる人たちにとっては優雅に暮らせる街も、浮浪者にとっては、過ごしやすい場ではない。そんな彼に思いがけぬ結末が訪れるのは、『獅子座』(フランス、エリック・ロメール)が、映画であることの役割を忘れていないからである。

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人間的な歌

 昼は採掘場でパワーショベルを運転。夜はステージで、バンド仲間と心の叫びを歌い上げる。党に利用され、秘密警察に仲間の監視を要請されたのは、東独の理想を信じたからだった。ゲアハルト・グンダーマンは、東西統合後にかつての活動を告白する。『グンダーマン 優しき裏切り者の歌』(ドイツ、アンドレアス・ドレーゼン)は、時間軸の交錯によって、伝説のミュージシャンの複雑な生涯を体感できる。

 グンダーマンは、現場の軽視や理念の押し付けを断固として、はねつける。感情に率直なあまり、妻との関係も、屈折している。

 監視社会にあっても、単純でないからこそ、人間的な魅力が維持された。彼の歌が聴衆の心をとらえたのは、自然な流れだった。

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多彩なアニメーション

 絵柄も雰囲気も多彩な岡本忠成のアニメーション。『チコタン ぼくのおよめさん』では、好きな女の子のために少年があれこれがんばるが、好意を得たかと思いきや、悲劇に見舞われる。『虹に向って』では、隣村同士の男女が、苦労の末に橋を築き上げ、念願のとおり結ばれる。ひたむきな純愛に臭みがないのは、人形劇ならではだ。『おこんじょうるり』は、孤独な老婆とキツネの情愛が民話調で綴られる。

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ゆるい冒険

 休暇中の空軍パイロットが、誘拐された婚約者を救出するため、パリからブラジルまで追っていく。ジャン=ポール=ベルモンド主演の『リオの男』(フランス・イタリア、フィリップ・ド・ブロカ)は、冒険活劇といっても、米国映画のような超人的肉体で敵を粉砕するというのではない。機智だけで難関をすり抜け、ひたすらゆるく、サスペンスよりも喜劇性が主体だ。このような作品があるのも、映画の豊かさの証明だろう。

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政治活動という選択

『政治活動入門』(百万年書房)で外山恒一は、学問や芸術の動機は、時代や社会への疑念や違和感を直截に解決することであり、政治活動をやるのがいいに決まっており、学問や芸術の活動をするのは、政治という最良の選択を分かっていながら、あえてそうしなかったのだと、喝破する。

 学問や芸術が政治に傾いたとしても、特別視すべきではないし、活動する者をいたずらに持ち上げるべきものではない。本来の姿に回帰したにすぎないのだから。

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