映画としての現実

 技能実習生として日本に来たベトナム人女性たち。不当な職場を逃げ出せば、生活するにはブローカーに紹介された過酷な作業場で働くしかない。証明書を取り上げられてしまえば、病院に通うのも正当な手段では難しい。取材をもとにした『海辺の彼女たち』(日本・ベトナム藤元明緒)は、路線から外れた無力な人間の現実を映し出すと共に、心情をすくい取るかのような淡い映像が、映画としての魅力を押さえている。

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理想の生きざま

 酒と薬と女におぼれ、働くことなく人生を楽しむムーンドッグ。それでも彼は誰からも愛され、詩もすばらしい。『ビーチ・バム まじめに不真面目』(米国、ハーモニー・コリン)はひたすら破滅的で、ひたすら音楽的。それでも観る者を高揚させるのは、彼の生きざまこそが、かなうべくもない理想だからだ。

 

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歴史という詩

 一族の歴史は、国家の歴史でもある。『ハイゼ家百年』(ドイツ・オーストリア、トーマス=ハイゼ)は、監督が自身の家族の日記や手紙、写真にナレーションを重ね、戦争から冷戦を経て、壁崩壊後に至る変遷を3時間半余りのモノクロ映像で映し出す。 歴史を俯瞰すれば、おのずと映像詩になるのだろう。

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ゆるい町

 古本屋・古着屋・ライブハウス・喫茶店。『街の上で』(日本、今泉力哉)は、町に暮らす青年と女たちの微妙なかかわりを綴る。エピソードもセリフも、ひたすら日常的で、ひたすらゆるい。その心地よさが、舞台となった下北沢の味わいでもある。

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山の教室

 教員が村人に尊敬され、子どもたちから待ち望まれる世界。標高4800メートルの奥地にある村に赴任した教員が、夢も野心もある若者ではなく、人生の辛酸を味わった高齢者ならば、冬を迎えても、その地にとどまったろう。青年教師と子どもたちの触れ合いを綴った『ブータン 山の教室』(ブータン、パオ・チョニン・ドルジ)は、シンプルなエピソードの連なり故に伝わる魅力がある。

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平凡な作家

 林真理子の『女文士』(新潮文庫)は、決して有名ではない作家・眞杉静枝の評伝である。どれだけスキャンダラスに語られようと、眞杉自身は、同時代の辛辣な作家と比べれば、さほど異常ではなく、むしろ平凡と言ってもよい。上昇志向もあり、実際に成功した林とは、対極にある眞杉を、若い作家志望者の視点を借りて、戦前から戦後にかけての時代を描き切った手腕は、手慣れたものだ。

 男や家庭環境に恵まれないために、似合わぬ苦労をしょいこみ、成功を夢見ながら、夢見るだけで終わる眞杉は、著名な作家の評伝よりも、よほど親近感を抱かせる。

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コロナ脳からの離脱

 インフルエンザとの差異や、国情を無視した過剰で的外れな政策と報道は、コロナの間接的被害と損失を増大させた。ウイルス学者・宮沢孝幸と漫画家・小林よしのりの対談『コロナ脳 日本人はデマに殺される』では、コロナ脳から離脱すべく、実状が明かされている。

 最近の感染者の増加は、風邪やインフルエンザ同様、自然現象とも言うべきものだ。人ゴミが目立ってきたのも、不信感をあおる政策よりも、現実の常識に市民が気付いたからとも言えよう。

 

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