文学の錯覚


 さやわかは、『文学の読み方』(星海社新書)で、文学とは錯覚にすぎないと、述べている。

……大事なのは文字だけを使って「あたかも〜のように思わせる」という、その錯覚、ただそれだけが重要なのです。
 長い歴史の中で、作家たちは「何か」を錯覚させるために手を変え品を変え、研さんしてきたと言えるでしょう。そして僕たち読者もまた、ただ自分がそこで錯覚できるかどうかによって、小説を評価してきたはずなのです。

 対象が虚構なのか、現実なのかは、もはや問題ではない。小説によって、喚起できるなにかが、あるかどうかなのである。

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