世界に必要な文学

 翻訳を通じて、文学が国や言語や時代を越えて、新たな価値を持ち、生き続ける――そのプロセスそのものが世界文学であるとするならば、大惨事を越えて新たな価値を獲得し、新たな生命を享ける文学もまた確かに世界文学である。私たちはそのような「3.11以後の世界文学」を求めて、これからも読み続けることだろう。「3.11以後の世界文学」――それはギリシャ悲劇やドストエフスキーの再発見であるかもしれないし、大江健三郎村上春樹池澤夏樹が次に発表する長編かもしれないし、あるいはまだ名前も知られていない若者が近い将来に書く驚くべき小説かもしれない。わかっているのは、それがまだ未踏の沃野であって、地図も目録もできていないということだ。(沼野光義「いまどうして世界文学なのか?」『文藝』春季号)

 いま現在、必要な世界文学は、いま現在、存在していない世界文学である。

アクセスカウンター