勝利よりも…

mukuku2007-08-15

「少年ジャンプ」といえば、「友情」「努力」「勝利」が三大原則のように受け止められてきた。初代編集長がアンケートで子どもたちに好きな言葉を聞くと上位にあがったのがこれらの言葉だった。(朝日新聞8日朝刊・中村真理子『消えた「男の子」』〈2〉)

 現在の編集長は言う。

「連載で主人公が努力したり、練習したりする場面が続くと人気が落ちてしまう」……「努力している姿は読者にとって停滞にしか見えないのかもしれません」……「今、読者に聞けば、友情、勝利は上位に入っても、努力はないと思う」

 
 成長神話の崩れた現代では、努力など無駄というのが賢明な考えと言えるのかもしれない。
 そんな時代でも愚直なまでに努力の効果を信じ続ける人々がいる。甲子園球児とその関係者だ。世間の流行りは関係ない。あくまで自分たちがなにを実現したいかである。
熱闘甲子園』(テレビ朝日系)は、試合ごとに視点を変えて、熱戦をダイジェストする。視点はスター選手のときもあれば、補欠選手や女子マネージャーのこともある。才能も境遇もまちまちの彼らに共通するのは、みな努力家ということだ。
 

 努力とは今を我慢し欲求の充足を延ばすこと。希望に満ちた明日がなければ我慢はしない。 

 だれかが明日を創ってくれるなどと勝手な幻想をいだく人ほど、幻想が壊れたときに失望する。どうせ明日に希望など持てないのだから、無理しても仕方ないと、悟るようになる。
 だが、明日を創るのは、政治家でもなければ、財界人でもない。個人である。成熟期を迎えつつある現代だからこそ、勝利うんぬんよりも、なおさら努力が価値を持つのではないだろうか。
 

 

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