国益のために

 国家ぐるみで邪魔者を抹殺しようと思えば、手段はいくらでもある。殺害者の立場からすれば、活動は国益にかなうもので、やましさは、いっさい感じないのだろう。ここで問うべきなのは、何が国益かということだ。

 ダニエル=ロアーのドキュメンタリー『ナワリヌイ』(米国)は、ロシアに帰国した被写体が、空港で拘束されるまでを記録している。現政権とは別の選択肢を国民に訴えた彼を生かしておく道は、この国ではもう、消えていた。

 

                     



救急の場を残すために

 救命救急センターの実態は、決してドラマチックな場ではなく、専門医ほどの地位が約束されているわけでもない。東海テレビが『その鼓動に耳をあてよ』(日本、足立拓朗)で記録した病院には、様々な症状や異なる事情(クレイマーや自殺未遂者、治療費を踏み倒す人もいる)の患者が運ばれる。そのすべてを受け入れ、救おうとする場が、民間に存在することの意義が、奉仕の精神に頼るばかりでは限界がある。政策にどこまで反映されているかだ。

                  

 

小さな世界で

 男女4人。それぞれの好きな相手は、互いに違い、共に過ごしても、本心は遠くに向いている。『違う惑星の変な恋人』(日本、木村聡志)は、ち密な会話喜劇を役者が自然に演じる。小さな世界にアクセントを与えているのは、彼女たちが観戦するサッカーの世界戦だ。

                  

 

埋もれた真実

 日本企業の駐在員が現地女性との間にできた子どもたちを殺害していた。ミステリー小説まがいの一報を知ったが、勤め先の新聞社では取り上げてもらえず、独力で現地調査を開始する。ノンフィクション『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』(三浦英之、集英社)で著者が知ったのは、ヨーロッパの報道でゆがめられた真実と、現地の哀しい現実だった。

                    

 

アートの場

 窮屈で閉鎖的な屋内だけが、アートの場ではない。『キース・へリング展 アートをストリートへ』(森アーツセンターギャラリー)には、地下鉄アートの写真もある。

          

 

人造人間の可能性

 既成の価値観、因習に縛られずにすむのは、人工的に作られた人間だろう。『哀れなるものたち』(英国、ヨルゴス・ランティモス)のベラは、赤ん坊の脳を埋め込まれた人間故に、これまでの女性とは異なるタイプの人間として生まれ変わった。経験し、学ぶことによって、彼女は、自分ならではの人間になる。

 ベラ的な性格を持つ人間が、この世にいないわけではない。本作が人間の可能性を広げられるかどうか。

         

 

少女の心情

 孤独な少女が農村の親戚夫婦の家でひと夏を過ごす。『コット、はじまりの夏』(アイルランド、コルム・バレード)は、それだけの物語だが、夫婦には、よその子どもに優しく接する理由があり、少女にも家にも学校にもいたくない事情がある。

 ほとんど口を利かない少女の目を通して、物を見たり、感じるうちに、自宅に戻った彼女が、自分を送り届けた夫婦の元に走り寄る心情に、納得が行くだろう。

         

 

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