たとえば、朝目が覚めたら
犬の顔が隣にあって寝息がきこえて、
起きたらいいお天気で、
いっぱい洗濯して掃除して、バルコニーの植木に水をやり、
公園をゆっくり散歩して、
帰ったらお茶を入れて本を読む。
適度に仕事も進み、
夜は親しい友人たちとごはんを食べて、
お酒飲んで、おしゃべりして、
帰ったらお風呂に入って
眠る。そういうのが幸福な気がする。
(吉野朔美『本を読む兄、読まぬ兄』本の雑誌社)
漫画家の吉野は、「幸福な一日」(小タイトル)をこう定義する。
このエッセイ漫画には続きがある。
目が覚めると、快適な朝のはずが、そうではなかった。
枕の横で愛犬が尻を向けて寝ていて、胃液を吐く。自身も飲みすぎて、もうお昼である。洗濯も掃除もやっていない。
テレビドラマの再放送を見ているうちに時間が過ぎ、開き直って愛犬と散歩する。原稿も書かないうちに、もう夜である。
思っているよりも一日は短く
幸福な日は少ない。
毎日はハプニングと無駄の連続。だからこそ、愛しい。