自分がいっぱい

mukuku2007-06-23

 自分というキャラクターは一つではない。どうにでも演じられるはずだし、だれでも、その可能性を持っている。だが、人前で自分を演じることが制約となり、キャラクターを狭めてしまうこともある。プロの俳優なら、硬軟自在の役柄を巧みに演じられるだろうが、それでも、自ら心がけないと、役回りが限定されてしまう。
 竹内結子が映画『サイドカーに犬』(日本、根岸吉太郎)に出演した理由を『ジェイヌード』6月21日号(朝日新聞社)のインタビューで答えている。

 あたらしい視界が開けたら楽しいなぁと思えたからなんです。……お芝居というものは頭で考えるものではなく、目の前の相手とキャッチボールができるかどうか……。それはわたしを殺すということではなく、わたしを増やすこと。自分自身を型にはめず、振り幅を広げていくことなんです。

 役柄を演じるのは、もう一人の自分を捨てることではない。新しい自分は、次の機会で演じればいい。

 かわいいといわれて、素直にうれしくなる自分がいる。その一方で……『イヤ、そーじゃない!』と思う自分もいるわけで。『なんでも思いどおりになると思うなよ!』と言い聞かせる自分がいる反面、『よしよし』ってされたい自分もいる。

 身体の底には、たくさんの自分が眠っている。

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