連呼を笑えるか?

mukuku2007-06-17

 宣伝車で名前を連呼し、街頭で握手を求める選挙運動。
 うるさいわね。いまどき、おかしいわよ。
 たいていの人がそう思う。だが、そんな風習が途絶えないのは、どぶ板選挙とか呼ばれる前近代的な戦術に共鳴する人も現にいるからである。
 ドキュメンタリー映画『選挙』(日本、アメリカ、想田和弘)には、公募の候補として初めて市議選に望む男の苦闘ぶりが映し出されている。支援する自民党の関係者にどなられ、古いしきたりに準じる純朴な彼の姿が、日本的サラリーマンの姿とだぶり、痛々しい。
 国際化などと言うが、大企業であれ、中小企業であれ、日本型企業の根本には、前時代的なやり口が色濃く残っている。連日、マスコミをにぎわす数々の不祥事は、それがつい漏れてしまったというだけだ。現場の人間にとっては、いまさらどうしたと言いたいのが本音だろう。
 違和感を持つと身が持たないというのが、この社会の現実なのである。しかし、不合理に違和感を持たないようになる。慣れてしまうというのは、健全ではない。見えるものを見ないようにすることの不健康さは、心の病を蔓延させる。
 選挙のパフォーマンスを笑うとき、その視点を自分たちの周囲にも向けられるかどうか。おかしな慣習を黙認せず、変えていけるかどうか。選挙の変化は、政治を見る側の変化が前提である。 

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