失ってもなお

 身一つで金稼ぎのためにアラスカ行きを目指す女が、途中のオレゴンで、金も車も失い、唯一の友である愛犬さえ、手放すことになる。『ウェンディ&ルーシー』(米国、ケリー・ライカート)のヒロインは、ひたすら不器用だが、譲ることなき意思があり、優しさがある。何もかも失って、それでも貨物列車に乗りこんで、目的地を目指す彼女を、応援せずにはいられない。

         f:id:mukuku:20211024174217j:plain

 

パンケーキを味わう

『パンケーキを毒見する』(日本、内山雄人)は、関係者の証言によって、総理大臣の実像に迫る。政策の地盤沈下を一政治家の問題だけに終わらせず、少数の利権者のための政治がもたらした病根の実態まで、視野を広げている。

 そんな政治家の答弁にうんざりし、政治と生活との関係性に興味を失い、投票者が減れば減るほど、ますます、その手の政治家が当選し、彼らのための政策を実行しやすくなる。事態を防ぐ方法は簡単なのだが……。

                  f:id:mukuku:20211024174111j:plain

 

幸福な仮想社会

 ネット社会は、批判されがちだが、時空を超えた関係を描き続ける細田守は、一貫して擁護する。『竜とそばかすの姫』(日本)では、内向きな女子高生が、ネットの世界に活動の場を広げることで、歌姫としての自分を見出し、まったく面識のなかった遠い地の少年の手助けにも、協力できるのである。

 ネット自体は、完結の場ではない。彼女だって、声を出したり、電車に乗ったりという、肉体を使うことで、物事を進展させるのだから。ここでは、仮想世界と現実世界が、幸福な出会いを果たしている。ツールの進歩を続けることで地球環境を生き抜いた人間の英知を、忘れるべきではない。

      f:id:mukuku:20211024173939j:plain

 

高校野球の多様性

 8月の甲子園で開催された女子高校野球の決勝戦は、男子のような悲壮感がなく、爽快さに満ちていた。人口が減り、野球人口も影響を受けている。それでも甲子園出場者の多様性が定着すれば、楽しみの幅は増すだろう。

    f:id:mukuku:20210904110037j:plain

 

死体をめぐって

『ハリーの災難』(米国、アルフレッド・ヒッチコック)のモチーフは、冒頭から死体になっている。彼の処置をめぐって、町の住人は、喜劇的なやり取りに終始する。埋めては堀り返し、また埋める。挙句は風呂場で洗われる死体。自分のせいで死んだのか? 住民の思い込みは、真相から、ことごとく外れている。死体は異臭を感じさせず、置かれた山の紅葉が異様に美しい。かくして、異色でありながら、エピソードにふさわしい展開に収まるのである。

   

          f:id:mukuku:20210904105652j:plain

 

野球は人生

 部活で挫折した女子高生と、元プロ野球選手のアドバイザー。二人が働くバッティングセンターを訪れる女性客は、いわくつきの者ばかり。何かをかかえる女たちが、妄想の試合で登場する名選手の一言で救われるという『八月は夜のバッティングセンターで。』(テレビ東京)は、シンプルな筋立てでありながら、爽快な印象を残す。

     f:id:mukuku:20210829104744j:plain

  

 

おごりを許すもの

  安倍政権であれ、現政権であれ、盤石どころか、突っ込みどころは多いが、それでもとらえられないのは、報道機関の弱体化に追うところが多い。望月衣塑子・五百旗頭幸男の共著『自壊するメディア』(講談社+α新書)は、ジャーナリストとしての意識を堅持する両者が、ぬるま湯と化した現場について明かしている。番人が役割を放棄したとき、何をしても許されるというおごりが蔓延するのは、自然な流れであろう。

                f:id:mukuku:20210825102346j:plain

 

アクセスカウンター