抗議のために

 新作『アメリカン・ユートピア』(米国、スパイク・リー)の公開を機に再上映された『ストップ・メイキング・センス』(米国、ジョナサン・デミ)。デビッド・バーンの率いるバンドの多国籍性、メッセージの社会性は、当時から一貫している。バーンが舞台を縦横無尽に動き回りながら、歌も演奏も全くぶれないという強靭ぶりも不変だ。その強さ自体が、自由の破壊者への抗議と言えるだろう。

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香港のスター

 中国支配下の香港では、学生であれ、新聞記者であれ、たてつく者は、封殺される。スター歌手のデニス・ホーとて、例外ではない。スポンサーが離れ、公演も開催できない。教師である両親にのびのびと育てられ、海外生活を経て、表舞台に立った彼女は、自分が自分であるために、民主活動を続け、人々のために歌う。

デニスホー ビカミング・ザ・ソング』(米国、スー・ウィリアムズ)は、米国のドキュメンタリー監督がとらえたスターの素顔だ。

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あの時代、あの瞬間

      映像に音声が合わないというトラブルを克服し、半世紀の時を経て公開された実写版『アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン』(米国)。このドキュメントで監督のシドニー・ポラックが優先させたのは、ミュージックビデオとしての洗練度ではない。魂のこもったアレサ・フランクリンの歌声。それに、教会でミュージシャンや聴衆を集って撮影した時代の熱気であり、多くの人々が音楽を通じて結びついた瞬間である。

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もう一つのコロンボ

 刑事と犯人の直接的なやり取りがいっさいない『刑事コロンボ 初夜に消えた花嫁』は、シリーズとしては異色だが、こうした作品があることで、定型の良しあしを再確認できる。

 誘拐犯は、これまでのコロンボ物にはなかった猟奇的な気質の持ち主だ。それでも、彼が誘拐した花嫁の顔に傷をつけたり、暴行を加えるわけではない。シリーズとしての節度は、ぎりぎり保たれている。新郎である甥のために一睡もせず、わずかな手がかりから犯人を突き止めようと奔走する。花嫁の安全を考えて、現場への突入時に上司を説得する。身内思いで、頼りがいがあるというコロンボのもう一つの側面が、本作で補強されたと言えよう。

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浮浪者のための映画

 伯母の遺産を受け継ぐどころか、一文無しになった中年男が、それでも働かずにパリの街をさまよう。金やパートナーのいる人たちにとっては優雅に暮らせる街も、浮浪者にとっては、過ごしやすい場ではない。そんな彼に思いがけぬ結末が訪れるのは、『獅子座』(フランス、エリック・ロメール)が、映画であることの役割を忘れていないからである。

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人間的な歌

 昼は採掘場でパワーショベルを運転。夜はステージで、バンド仲間と心の叫びを歌い上げる。党に利用され、秘密警察に仲間の監視を要請されたのは、東独の理想を信じたからだった。ゲアハルト・グンダーマンは、東西統合後にかつての活動を告白する。『グンダーマン 優しき裏切り者の歌』(ドイツ、アンドレアス・ドレーゼン)は、時間軸の交錯によって、伝説のミュージシャンの複雑な生涯を体感できる。

 グンダーマンは、現場の軽視や理念の押し付けを断固として、はねつける。感情に率直なあまり、妻との関係も、屈折している。

 監視社会にあっても、単純でないからこそ、人間的な魅力が維持された。彼の歌が聴衆の心をとらえたのは、自然な流れだった。

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多彩なアニメーション

 絵柄も雰囲気も多彩な岡本忠成のアニメーション。『チコタン ぼくのおよめさん』では、好きな女の子のために少年があれこれがんばるが、好意を得たかと思いきや、悲劇に見舞われる。『虹に向って』では、隣村同士の男女が、苦労の末に橋を築き上げ、念願のとおり結ばれる。ひたむきな純愛に臭みがないのは、人形劇ならではだ。『おこんじょうるり』は、孤独な老婆とキツネの情愛が民話調で綴られる。

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