リスク評価の犠牲

「最悪の事態にどう対応するか?」という考え方をしないのは、日本人の国民性である。「プランAが失敗したら」という仮定そのものを一種の「呪い」のようにみなすのである。……日本人はすべての災禍についてリスクを過小評価する傾向にある」(内田樹『言霊の幸ふ国』―『週刊金曜日』4月17日号)

 それでどうにかなるときもあれば、どうにもならないときもある。一時うまく行って、繁栄しても、どこかのタイミングでご破算になる。身についた体験や方法も、忘れてしまったり、捨ててしまう。

 被害が起き、時が経過してからできるのは、せいぜい回顧して、悦に入ることぐらいだろう。この繰り返しで、これまでどうにかなってきたのだが、その間、犠牲になったものは、決して浮かばれない。

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