思想の源泉


 僕はもう「思想を持たない思想」だから。生半可な思想を持ってしまうと、その思想と共鳴した人間としか意思の疎通ができない、それならば思想は要らない。
 そもそも絵画に思想なんか必要ないわけですよ。実際にセザンヌみたいに、林檎の絵とビクトワール山の絵ばかり書いて二十世紀の芸術を変えてしまう、そういう革命がすでに起きていたし、絵の中にすでに変革の要素があるわけだから。画家が思想を持たなくても、絵が勝手に思想を持つ。それに共感した人が、その人なりの思想を持てばいい」

横尾忠則:談――武田将明・飯田橋文学会:編『現代作家アーカイヴ2』東京大学出版会

 思想を超えた思想の源泉が、絵画にはある。

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