小説を牽引するもの

 ある時、小説に何かの動きがあると、描写以外の豊かさがもたらされることに気が付いたんです。その「何か」がドラマであってもいい。物語に小説が支配されるのは嫌だから物語、ドラマそのものを書こうとするのではなくて、物語あるいはドラマと呼ばれるものの力を借りて、物語の進行から導き出されるカタストロフィーやクライマックスといったものとはまた別の動きを小説にもたらすことができるんじゃないかと。(松浦理英子――村田沙耶香との対談「それぞれの孤独に寄り添って」『新潮』10月号)

 小説を牽引するのは、なんだろうか。
 

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