記憶の集積法

 大正9年8月、柳田国男は大震災で被害を受けた三陸海岸の村や町を歩いた。その折、柳田が書いたエッセイの内容を民俗学者赤坂憲雄が紹介している。

 大津波についての文字なき記録は、「話になるような話」だけが繰り返され、濃厚に語り継がれているうちに、しだいに減少していく。ほかの数も知れぬ大切な死者たちの記憶は、肉親のなかだけに残り、やがて忘却される。文明年間の大津波は、いまでは完全なる伝説であり、金石文などの遺物はひとつもない。(「広やかな記憶の場を」『日本経済新聞』29日朝刊)

 今日では同様なことが写真、映像、伝達文などで記録されるだろう。だが、それですべてが残されるわけではない。「無数の記憶を集積するデジタルミュージアムのようなものが構想されるのかもしれない」と、赤坂は記すが、そのような記憶の記録法も、多様にとらえなければならないのだろう。

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