詩をよむ

mukuku2008-05-04

 散文の根幹をなす文章のエッセンスが詩歌だ、ということもできるのではないか。そのことを認識していたから、森鴎外夏目漱石樋口一葉島崎藤村をはじめ、近現代文芸史上重要な小説家たちは、ほとんど例外なく、出発以来詩歌を試みるか、試みないまでも持続して関心を払ってきたのではないか。
 さらにもう一つ、日本語で古来「うたをよむ」という場合の「よむ」は「読む」と同時に「詠む」だった。文芸の中心をなす詩歌において、読解と創作は一つだった。本質的には散文も同じで、先人のよい作品を読まなければ、あらたによい作品は書けないはずだ。この前提の上に先人の詩歌の富を自分のものにし、本来の小説を含む散文世界を富ませてもらいたい。(日経新聞4日朝刊・高橋睦郎『七十歳の出発』)

 小説に比べ、詩が読まれる機会は少ないが、「よむ」意義は、あるかもしれない。

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