冗舌な言葉を発する場がある。そこは、携帯メールだったり、町なかだったり。その多くが退屈だったり、いらだちをもたらすのは、乱発される言葉が、たいてい薄っぺらで、しかも、まがい物だからだ。
あたし達は何かをかくすためにおしゃべりをしてた
ずっと
何かを言わないですますためにえんえんと放課後お喋りをしていたのだ
(岡崎京子『リバーズ・エッジ』宝島社)
おしゃべりする彼女たち、あるいは彼たちが、多弁であるほどに、本音が奥底に沈んでいく。
隠れていたものは、どこかで、いきなり出てくる。言葉でなく、動作でだ。ちょっとした奇癖。あるいは、ちょっとした犯罪。それらこそが、本当の言葉である。
まさかあの人が? あんなことが起きるとは!
そんな驚きは、もはや通用しない。かくれんぼうの時代なのである。