開かれた青春

 1970年代を舞台にした定型の青春物語と思いきや、ポール・トーマス・アンダーソンが手掛けただけあって、『リコリス・ピザ』(米国)は、どう転ぶかわからない、奔放な喜劇に転換されている。美談美女ではなく、年齢差のあるさえない男女が、強烈な脇役たちに振り回されながら、彼らなりの幸せを手にするさまは、観る者を解放し、爽快な気分にさせるだろう。

     



 

人類の願望

75歳になれば、死を選択できる近未来というSF的な設定でありながら、『PLAN75』(日本・フランス・フィリピン・カタール、早川千絵)のタッチは、ひたすらドキュメンタリー調だ。特異なキャラクターも、劇的な展開も、存在しないからこそ、死の在り方を思索する材料になっている。

少子化が問題視される一方で、世界では人口の爆発も懸念事項だ。人類は、自力で調節できるのか。戦争や疫病で死者をもたらすのは、人類の願望なのかもしれない。

      

 

世界は共通

ドキュメンタリー『FLEE フリー』(デンマークスウェーデンノルウェー・フランス、ヨナス・ポヘール・ラスムセン)は、証言者を保護するため、アニメにされた。アフガニスタンでは人権が無視され、迎えられたロシアでは腐敗した警察に搾取され、弱小国の難民として密航時も危険にさらされる。デンマークに亡命を果たすまでの青年期は、苦難続きだった。ここに、同性愛者としての生きづらさも加わる。今日、世界の問題は共通だ。

      

 

才能は集えど

 室町期の能楽師をミュージカルアニメに昇華した『犬王』(日本、湯浅政明)。絵柄といい、楽曲といい、歌い手といい、強者ぞろいだが、それぞれの才能が融合したとは言い難い。同じ素材を使って、ジャンルを分けた方が、表現の印象が明確になったろう。

       

 

わくわく展示

 スケッチを大きくして見せたり、作者が好きなグッズを置いたり、遊べる動画のコーナーを用意したり……。作者の脳内のようなわくわく感を視覚化した『ヨシタケシンスケ展』(世田谷文学館)は、企画者の遊び心も感じられる。

            



 

青年の行く末

 何をやるのか、方向が定まらない青年。周りには、口下手ながらも思いやりのある親たちや、彼を放任する仲間たちがいるが、『冬薔薇(ふゆそうび)』(日本、阪本順治)は、決して人情話には傾かない。

 彼の羅針盤は、両親や去った人々ではない。新天地に向かった途端、裏切られた彼に、仲間として寄りそうのは、孤独なチンピラだ。行く末は、決して明るいものではない。

        

 

クーデターの現実感

 裕福な家の白人カップルが豪邸に各界の名士を招く。優雅な結婚パーティは、突如暴徒に襲撃され、富裕層は金品を得るための人質にされる。貧しい階層の人々が、使用人と共謀したのだ。

 世界の縮図とも言うべき『ニューオーダー』(メキシコ・フランス、ミシェル・フランコ)のクーデター。現代においても変わらぬ人間の非道性には、どの国でも起こるべき現実感がある。

     

 

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