言葉と運動


「演劇人の入り込み」が出来たら、そこに途中で「失速」しないで続けたら、演劇は演劇となるのである。このような、いわば「運動神経だけで書く戯曲」というものを、私は最近めざしている。(別役実『ことばの創りかた――現代演劇ひろい文』論創社

 運動が続く限り、言葉も続く。

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