外部

 戯曲を進行させていくには、それが空間であれ、時間であれ、「外部」もしくは「他者」の存在を導入できる状況を用意することが必要なのである。(想田 和弘『 演劇 vs. 映画――ドキュメンタリーは「虚構」を映せるか』(岩波書店

 内輪だけの会話ならば、外部の人間にはわからないし、聞く必要もない。外部と交差する時間、接する場があってこそ、話題が開かれる。開放の場を創るのが表現なのだ。
 

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