信心


 上から設計主義的に原発を置き、「安全」と言ってきた結果がこの惨状を招いたのに、同じように水力や風力、あるいは太陽光なら大丈夫だと言って設計主義的に進めていったら、必ず別の形での問題が出てくる。ここにまた「信心」があると思うんです。理性の限界を疑わない、という根本的な構造は何も変わっておらず、ただ「信心」の置き換えをしているだけではないかと。(開沼博「『中央と地方』が歩んだポストコロニアルな関係性」『週刊金曜日』26日号)

 絶対的になにかを信じる者は、裏切りの存在を知らない。

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