世界の映し方

 ドキュメンタリーに関しては、世間一般で行われているように、計画的に作ることに強い違和感を抱いてきた。綿密に計画を立てて失敗を回避しようとすればするほど、逆に失敗する、つまり作品がつまらなくなるのではないかと感じ続けてきた。なぜならドキュメンタリーは、存在の不確かさ、儚さにこそ、その魅力があるからだ。同時に、作り手の予想や思惑が生の現実の迫力の前に砕けちり、心底裏切られ、既存の世界像がドロドロに溶解してしまったときにこそ、輝き始めるものだからである。(想田和弘『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』7月、講談社現代新書

 むろん、計画を作るに越したことはない。だが一方で、計画に縛られないのも、世界を映す作法なのだ。

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