通過点

mukuku2008-11-16

 ある作品を、「要するにこれこれについて描かれている」というふうにまとめてしまうときに必ず、そのまとめ方から外にあぶれてしまうものが出てくるからです。そのあぶれた部分は、その作品の欠点とみなされるか、その反対に、あぶれているゆえにその役立たずさがいいぞ!とされるかでしょう。でも、それをいいように評価するにしろそうでないにしろ、その箇所が役立たずであるように見えるのは、その作品に対して「要するにこれこれについて描かれている」という見方をするからであって、そういった見方をしなければ、その箇所は別の見え方がしてくるのではないでしょうか?(岡田利規―『友達』公演パンフ)

 その退屈さからして、今回の公演(安部公房作、岡田利規演出、シアタートラム)が成功したとは思えない。だが、他者の描いた脚本を手がけたことで、岡田は次回作につながるなにかを得たのかもしれない。

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