快楽の生きもの


平成狸合戦ぽんぽこ』(日本、高畑勲)が見るたびに味わいを増すのは、環境の変化を普遍的に描出しただけではない。土地を追われ、自由を奪われたかに見える狸たちが、いかなる状態においても、能力に見合う形で、それぞれのポジションにおいて生き続けているからだ。
 人間中心の世界では、自然が丸ごと残されることはあり得ないし、狸は、狸なりの流儀で、住みかを確保するしかない。
 人間の窮屈な衣服を着て、混雑した乗り物に揺られる狸の心労は、人間の実情と重なるが、原っぱで楽しく踊り明かす狸の楽天ぶりも、人と重なるものである。
 窮屈な規則や重々しい人間関係を構築する人間は、一方で、快楽に励む生きものでもあるのだ。

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