個人の居場所


 おそらくはあらゆるくくりから「はぐれている」個人としては、こういう個人が個人であることをあきらめないでいられる世界、みだりに殺されない世界であるといいと。これは要望というより祈りのようなものかもしれません。(黒田夏子「はぐれた個人の居場所は」『朝日新聞』17日夕刊)

 個人が個人でいられる世界が、いつまで残るのだろうか。

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