生の存在

mukuku2007-01-07

 ビデオ画面に人の顔が映っている。その顔がほんの少しずつ表情を崩していく。別の画面には、地面に立つ男がいて、滝のような水を浴び、やがて炎に包まれる。森美術館で開催中のビデオアート展『ビル・ヴィオラ:はつゆめ』には、ヴィオラの作品、16点が展示されている。
 なにかストーリーがあるわけでもない。激しい動きがあるわけでもない。スクリーンやプロジェクターには、人や水のゆっくりした変化のみが映される。映像はどこかで終わるのではなく、同じことを繰り返し、永遠に続くことを予感させる。
 生き物であれば、いずれ死ぬ。死を避けるには、生身の物体でなく、物体の記録装置さえ残っていればいい。装置には生き物の動く姿が残されているからだ。
 だが、永久の存在には、躍動感がない。生きていることを感じさせないのである。
 死が存在するからこそ、生が成立するように思える。死がなくなると同時に、生も消えるのだ。
 
   

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