映画の時間認識

 蓮實重彦は、映画が映画であるために、的確なショットへのこだわりと共に、時間の意識にも苦言を呈する。

 語るべき物語のためにどれだけの時間が必要かという問いに、たえず敏感であるべきだと思います。……実際、現代においても、まともな映画作家のほとんどは、九〇分~一〇〇分で充分に語りきれる物語を撮っているはずなのです。(『言葉はどこからやってくるのか』青土社

旅芸人の記録』や『地獄の黙示録』は相応の長さとして認めているものの、タランティーの作品は、無駄に長く感じられていると、述べている。

 この区分は真っ当だろう。テレビドラマやネット動画とは違う映画というものの認識に、作り手が怠慢であってはならない。

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