走るだけの彼に

      自分では、どうしようもない弱さもある。『草の響き』(日本、斎藤久志)の主人公は、妻を連れて、東京から函館に戻る。病院に通い、心の治療をするが、いっこうに治癒しない。日課は、ひたすら走ることだ。友人に見守られ、ときには、泣く。父に、だらしなさを叱咤されても、どうにもならない。子どもを身ごもった妻からは、慣れない土地が合わないと、告げられる。

      主人公は、変われない。症状が改善されたかに見えても、心身は望んでいない。病院の囲いを越えて、走り出す。自分が自分のままでいることだけが、救いだ。

      ただ走るだけの彼に、草原が寄り添う。

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腐敗の対抗馬

 ライブハウスの火災事故で病院に担ぎ込まれた若者たちが次々に亡くなったのは、火傷によるものではなく、病院の設備や消毒薬の不備が原因だった。『コレクティブ 国家の嘘』(ルーマニアルクセンブルク・ドイツ、アレクサンダー・ナナウ)は、ルーマニアの製薬会社や政府も絡む汚職に、スポーツ紙の記者や、新任の厚生大臣が挑むドキュメントだ。

 どれだけ事実を明るみにしようと、利権者に食い込んだ体制は揺るぐどころか、ますます強化されるが、報道後の選挙の思わぬ結果は、無力感を与えるものではない。根の深い腐敗があるほど、志のあるジャーナリストや政治家が対抗馬として現れ、歯止めをかけようとするという逆説は、他国民も元気づけるだろう。

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彼らの救い

 万引きして逃走した少女が、スーパーの店長が追いかけられたため、車に轢かれて死んでしまう。『空白』(日本、吉田恵輔)の登場人物は、遺された父親を含め、それぞれ事情をかかえている。被害者も加害者も親族も、相手の内面が見えないことで、おびえたり、いきどおったり、距離を置こうとする。メディアの表面的な報道では見えない葛藤だ。人間関係の厄介さは、だれにもついてまわるが、そんな彼らでも、認めたり、寄り添う人がいるのが、救いだ。

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伝説のライブ

 交通が不便、会場の居心地も決して快適とは思えない野外に、二日間で25人を動員させたライブ。『オアシス ネブワース1996』(英国、ジェイク・スコット)は、25年経ってもなお、強烈な記憶を人々の心に刻み込んだ伝説の熱気を、当時人気絶頂だったバントの演奏はもちろん、堪能した観客の証言や、ライブ前後の映像を交えて、スクリーンによみがえらせる。

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疫病神

 開拓使時代の女性ガンマンだが、男性的な武力を優先させるわけでもなければ、しとやか女性像に従うわけではない。ヒロインが疫病神と言う呼称を肯定的に引き受ける『カラミティ』(フランス・デンマーク、レミ・シャイエ)は、従来のカラミティ・ジェーン像をより現代に近づける絵物語だ。

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戦争は続いている

 昨日まで同じ町で暮らしていた人間たちが敵対し、生かされ者と、殺される者とに区別される。国連軍とて、住民を守ってくれない。教師だった通訳が、自分の家族だけを守るために、なりふり構わぬ行動に走るのも、致し方ないことだろう。『アイダよ、何処へ?』ボスニア・ヘルツェゴビナオーストリアルーマニア・オランダ・ドイツ・ポーランド・フランス・ノルウェー、ヤスミラ・ジュバニッチ)の通訳は、夫や息子を虐殺されるが、紛争が収まってからも、再び教壇に立つ。

 虐殺後、無数の遺体が発見された。けれども、どれが夫で、どれが息子の者なのかはわからない。和平後も絶望は消えない。

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真実の追究

 ドキュメンタリーディレクターが女子高生いじめの真相を追う。冤罪と思われた教師の実像。視聴率狙いのテレビ局の歪曲。真実を至上とするディレクターの身内にも、許すべからざる事態が明らかになる。『由宇子の天秤』(日本、春本雄二郎)は、単純化できないこの世の人間関係を露見させるが、それでも、真実の追究をやめてはならないだろう。

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